北公次
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北 公次(きた こうじ、1949年1月20日 - )は日本の歌手、俳優、タレント。1970年代を代表する男性アイドルグループであったフォーリーブス(1967年結成-1978年解散)のメンバー。和歌山県出身。本名、松下 公次(まつした こうじ)
解散後にジャニーズ事務所についての暴露本を執筆したことでも知られる。2002年にフォーリーブスを再結成。2006年の現在も活動継続中。
[編集] 略歴
- ジャニーズの付き人を経て1967年、フォーリーブス結成に参加、翌1968年『オリビアの調べ』でレコードデビュー。歌って踊るアイドルのスタイルを確立し、1970年から7年連続でNHK紅白歌合戦に出場するなど、この時代を代表する男性アイドルグループとなった。他のメンバーは青山孝、江木俊夫、おりも政夫。
- 運動能力に優れた北はダンスの上手さはメンバー中1番で、ステージでバック転を披露した歌手の元祖である。デビュー曲を始めフォーリーブスの多くの楽曲の作詞も担当した(のちに自著で多くは代作だったと述べている)。ステージでのアクティブな姿に反し、トークの場面では口下手で滑舌が悪く、4人の中で最年長にも関わらず最も寡黙であった。しかしそれが逆にシャイでやや陰のあるイメージを与えて魅力となり、人気は常にメンバー中トップであった。単独でもテレビドラマ『ボクは女学生』(1973年)等に主演するなど活躍した。
- 1970年代後半になるとフォーリーブスの人気も下降し、1978年8月31日に解散した。4人の中で北が唯一解散に反対したともいわれる。解散翌年の1979年4月に覚醒剤取締法違反で逮捕。その後芸能界に復帰し、俳優としてテレビドラマに顔を出すようになる。1983年、映画『竜二』に準主演格で出演。主演の金子正次が公開直後に急逝したことでも伝説的な本作で、北は一世一代ともいえる好演をみせた。しかしその後俳優としての仕事が大きく広がることはなかった。尚、解散前は生年を1951年と詐称していた。
- 1988年にデータハウスより半生記『光GENJIへ』を出版。ジャニー喜多川のセクハラにも言及した同書はベストセラーとなったが、大手メディアからは無視された。この前後も断続的にライブ活動や俳優業を続けていたが、1994年の再婚を機に事実上引退状態となる。挙式には解散後初めて元メンバー全員が揃い、テレビのワイドショーでも放送されたため、ジャニーズ事務所との何らかの手打ちがあったとも推測されている。
- 2002年1月にフォーリーブスを再結成。往年のファンからの支持を受け2007年の現在もライブ中心に活動継続中である。2006年8月12日、NHK『第38回思い出のメロディー』に出演、57歳にして得意のバック転も披露した。