北方七年戦争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
北方七年戦争(ほっぽうしちねんせんそう)とは、北欧を中心としたデンマーク、スウェーデンの戦争である。1563年から1570年まで続いたので北方七年戦争、あるいはスカンディナヴィア七年戦争と呼ばれている。
デンマークは、1523年にスウェーデンが独立し、カルマル同盟が崩壊して以降、スウェーデンの強大化を脅威と見なし、注視してきた。隙あらば、再びスウェーデンを征服としようと目論んでいた。そして1558年、バルト地方でリヴォニア戦争が勃発するのである。スウェーデンはこの戦争に参戦した。
デンマーク王フレゼリク2世は、この間隙を縫ってスウェーデンに宣戦布告した。1563年である。スウェーデンは、フィンランドを通してバルト地方に影響力を及ぼそうとしていた。そして当時デンマーク領であったエストニア(エストラント)に侵攻するのである。フレゼリク2世は、エストラントにも兵を向けたが、主要な戦場は、スカンディナヴィア半島であった。当時デンマーク領であったスコーネや属国ノルウェーからスウェーデン侵攻を開始した。
スウェーデンは、リヴォニア戦争で手一杯なのと、スウェーデン王エリク14世の精神異常など、デンマークに取って有利な状況であった。しかし、1563年、バルト海南部のボーンホルム海峡の海戦でフィンランド人提督のクラウス・ホルンをして、敗北を喫し、戦争は膠着状態に陥った。当時のデンマークは、国力に余裕があり、スウェーデンとの戦争は決して苦ではなかった。しかしスウェーデンは、エリク14世から王位を簒奪したヨハン3世の元、戦争を引き継ぎ、必死に凌いだ。特にスコーネでは、激しい死闘が繰り広げられていた。結局、両者一歩も引かず、曖昧な形で休戦となった。しかしデンマークは、エストラントの再占領は叶わず、スウェーデンが領有を果たした。
1570年にフレゼリク2世とヨハン3世の使者が、ポンメルンのシュチェチンで講和を行い、戦争は終結した。この戦争が終了すると、スウェーデンはリヴォニア戦争に復帰した。