エストニア
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- エストニア共和国
- Eesti Vabariik
-
(国旗) 国章 - 国の標語 : なし
- 国歌 : 我が故国、我が誇りと喜び
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公用語 エストニア語 首都 タリン 最大の都市 タリン 大統領 トーマス・イルヴェス 首相 アンドルス・アンシップ 面積
- 総計
- 水面積率世界第129位
45,226km²
4.5%人口
- 総計(2004年)
- 人口密度世界第149位
1,341,664人
30人/km²GDP(自国通貨表示)
- 合計(2005年)
1,518億クローン(2007年からユーロ導入予定)GDP(MER)
- 合計(2005年)世界第93位
123億ドルGDP(PPP)
- 合計(2003年)
- 1人当り世界第110位
173億7,000万ドル
12,300ドル独立
- 宣言
- 承認
- 宣言
- 承認ロシアより
ロシア・ソビエト連邦から
1918年2月24日
1920年2月2日
ソビエト連邦から
1991年8月20日
1991年9月6日通貨 クローン(2007年からユーロ導入予定)(EEK) 時間帯 UTC +2(DST: +3) ccTLD EE 国際電話番号 372 - 註1: 2007年からユーロ導入予定
エストニア共和国(エストニアきょうわこく)は、ヨーロッパの国。バルト三国の一つ。首都はタリン。ラトビア、ロシアと国境を接し、バルト海、フィンランド湾に面している。
ソビエト連邦から独立した。ソ連からの独立後、国内に残ったロシア人(残留ロシア人)の問題と国境問題を抱える。
目次 |
[編集] 国名
正式名称は、Eesti Vabariik (エストニア語: )。略称は、Eesti 。
公式の英語表記は、Republic of Estonia 。略称、Estonia 。
日本語表記は、エストニア共和国。通称、エストニア。
旧称、エストニア・ソビエト社会主義共和国。
[編集] 歴史
詳細はエストニアの歴史を参照
エストニアは13世紀以来デンマーク人、ドイツ系騎士団、スウェーデン、ロシア帝国と外国勢力に支配されてきた。1917年のロシア革命でロシア帝国が崩壊したのち自治獲得の動きが高まり、まもなく独立運動へと転じた。1918年2月24日に独立を宣言、その後ソヴィエトやドイツの軍事介入を撃退して独立を確定させた。1921年には国際連盟にも参加したが、1940年ソ連に占領され、1941年から1944年まではナチス・ドイツに占領された。第二次世界大戦末期にはソ連軍が再占領し、戦後はソ連の社会主義化政策が行われた。ソ連崩壊後の1991年独立回復を宣言し、同年には国際連合にも加盟している。1994年8月31日にロシア軍が完全撤退した後、西欧諸国との経済的、政治的な結びつきを強固にしていった。2004年3月29日、北大西洋条約機構 (NATO) 加盟。さらに、2004年5月1日には欧州連合(EU)に加盟した。 また、ラトビアとともにロシアと国境問題が存在するが、EU加盟で棚上げになっている。
[編集] 政治
政体は共和制。議会は一院制で、任期は4年である。大統領は議会によって選ばれ、任期は5年である。2007年2月26日から28日に世界で初めて議会選挙の電子投票を行った。[1]
[編集] 地方行政区分
詳細はエストニアの地方行政区画を参照
15の地区 (maakond) に分かれる。
[編集] 地理
- サーレマー島(エーゼル) Saaremaa / Ösel
- クレッサーレ(アレンスブルク) Kuressaare / Arensburg
- ヒーウマー島(ダーグエー) Hiiumaa / Dagö
- タリン(レーファル) Tallinn / Reval
- ペルヌ(ペルナウ) Pärnu / Pernau
- タルトゥ(ドルパット) Tartu / Dorpat, Derpt
- ナルヴァ Narva / Narwa
- ヴァルカ(ヴァルク) Valga / Walk
- コフトラ・ヤルヴェ(コホテル=テュルプザール) Kohtla Järve / Kochtel-Türpsal
- ヴィリャンティ(フェリーン) Viljandi / Fellin
- クンダ Kunda
- ムーカ(ミュンケンホーフ) Muuga / Münkenhof
- パルティスキ(ローガーヴィーク) Paldiski / Rogervik
- ハープサル(ハプザール) Haapsalu / Hapsal
リボニア帯剣騎士団・ドイツ騎士団・スウェーデン・ロシアの支配を経験したため、市町村に複数の名称がある。以下のリンクなどを参照。
[2] ; [3] ; [4] ; Liste der Städte in Estland ; [5]
[編集] 経済
フィンランドから高速船で1時間半という立地と、タリン市旧市内を中心とした観光をいかし、近年観光経済が発達している。バルト3国中で最も経済状況は良好。1年間の観光客数は500万人を超えるとも。他にIT産業が堅調で、ヨーロッパのIT市場ではアジアにおけるインドのような立場にある(つまり、オフショア開発の中心地)。余談だが、ヨーロッパではハンガリーに次いでハッカーが多いとも言われる。
また、アメリカの大手シンクタンク・ヘリテージ財団による経済自由度指標によると、第7位にランク付けされており、政府による経済統制は殆どないとされる。即ち、エストニアの経済構造は、近隣の北欧諸国のような市場調整型ではなく、アングロ・サクソン諸国(アメリカやイギリス)のような市場放任寄りである。このような構造で好調な経済成長遂げている小国の例に、アイルランドやシンガポールがある。
現在通貨としてエストニアクローンを用いているが、今後2007年をめどにユーロへの移行を予定している。
[編集] 国民
(住民の人種構成、言語、宗教など) 住民は、エストニア人が65.3%、ロシア人が28.1%、ウクライナ人が2.5%、ベロロシア人が1.5%、フィン人が1%、その他1.6%となっている。(1998年時点)
国家語・公用語であるエストニア語はフィンランド語と同じく、ウラル語族の言語である。英語、ロシア語、フィンランド語は比較的よく通じる。
宗教は、福音ルター派、ロシア正教会など。キリスト教圏だが、歴史的な問題により国民の信仰は比較的薄い。
[編集] 文化
日付 | 日本語表記 | 現地語表記 | 備考 |
---|---|---|---|
1月1日 | 元日 | Uusaasta | |
2月24日 | 独立記念日 | Iseseisvuspäev | |
復活祭の前々日 | 聖金曜日 | Suur reede | |
移動祝日(日曜日) | 復活祭 | ||
復活祭の翌日 | 復活祭月曜日 | ||
5月1日 | メーデー | Kevadpüha | |
復活祭後の第7日曜日 | 聖霊降臨祭 | ||
6月14日 | 記念祭の全国日 | Leinapäev | 1941年のこの日にエストニア人の巨大追放が行われた。 |
6月23日 | 戦勝記念日 | Võidupüha | ドイツの軍隊がエストニア解放戦争で破られたことを記念 |
6月24日 | 夏至祭・聖ヨハネ祭 | Jaanipäev | |
8月20日 | 独立回復記念日 | Taasiseseisvumispäev | |
12月24日 | クリスマスイブ | Jõululaupäev | |
12月25日 | クリスマス | 1. jõulupüha | |
12月26日 | ボクシング・デー | 2. jõulupüha |
[編集] 関連項目
[編集] 出典
[編集] 外部リンク
[編集] 公式
- 政府公式サイト
- 在日エストニア大使館 (日本語)
- エストニア政府観光局 (日本語)
[編集] その他
- 世界の国々 > ヨーロッパ
-
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