十文字貴信
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男子 自転車競技・トラック | ||
銅 | 1996 | 1kmタイムトライアル |
十文字 貴信(じゅうもんじ たかのぶ 1975年11月10日 - ) は日本競輪学校75期卒業の日本の競輪選手。自転車競技選手。 千葉県出身。日本競輪選手会茨城県支部所属。 師匠は川村恵三。初出走は1995年4月8日の宇都宮競輪場。初勝利は同年4月24日。
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[編集] 来歴
中学まではレスリングを行なっていたが、茨城県立取手第一高等学校入学後は自転車競技に転向した。高校総体で優勝するなどの実績を上げ、日本競輪学校には技能試験免除で入学した。
選手としてデビュー後は一気にトップクラスまで駆け上がったが、転機が訪れたのは1996年に行なわれた全日本プロ選手権自転車競技大会であった。自転車競技にプロ選手の参加が認められることになったアトランタオリンピックに向け、この大会は夏季オリンピックの代表選考会を兼ねることになり、1kmタイムトライアル種目への出場候補として有力視されていた神山雄一郎を破り、アトランタオリンピックへの出場を果たしただけでなく、プロの競輪選手として初の銅メダル獲得まで成し遂げた(なお坂本勉がアマチュア時代にロサンゼルスオリンピックで銅メダルを獲得している)。
このことにより当時としては中野浩一に匹敵するほど競輪の知名度上昇への貢献を果たしたことから、これ以降、日本自転車振興会および日本競輪選手会はプロ競輪選手を国際大会へ積極的に派遣させている。また十文字は、日本自転車振興会など各種関係団体から国内の競輪に出場した場合以上の賞金に値する数千万円の報奨金を贈呈された事でも話題となった。さらには国内ではノンタイトルであるものの同年のKEIRINグランプリにも出場している(但し接触事故で落車棄権)。
帰国後も特別競輪などに出場し、共にオリンピックへ出場した神山雄一郎との連携は「アトランタライン」と名付けられ話題となった。しかし持病の腰痛が悪化し、2001年頃にはヘルニアによる神経圧迫で自転車に乗れない状態にまで追い込まれ、1年間も競走から離れてしまうことになり、この故障は現在も尾を引いてしまっている。
[編集] 競走スタイル
タイム記録で国内最高だったことから、先行や捲りのスピードは格別なものがあり、その実力は特別競輪で優勝してもおかしくない程であった。
しかし腰痛からの復帰後は、身体の負担を軽くするため、実力も戦法もごく一般的な追込選手となっている。
[編集] 余談
オリンピックのメダル獲得時、映画の「ジュマンジ」が公開された直後だったことから、外国人プレスから「ジュマンジー、WHO?」などと呼ばれた事があった。また、この時に谷亮子へ声をかけた事から一時期マスコミを中心に噂話が巻き起こった事もあった。