千字文
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
千字文 | |
---|---|
中国語名 | |
漢字 | 千字文 |
拼音 | Qiānzìwén |
ウェード式 | Ch'ien-tzu-wen |
日本語名 | |
漢字 | 千字文 |
ひらがな | せんじもん |
ヘボン式 | Senjimon |
朝鮮語名 | |
改定ローマ字 | Cheonjamun |
マッキューン=ライシャワー式 | Ch'ŏnjamun |
ハングル | 천자문 |
漢字(ハンチャ) | 千字文 |
ベトナム語名 | |
Quốc ngữ(クオック・グー) | Thiên tự văn |
Chữ nho(チュニョ) | 千字文 |
千字文(せんじもん)は、子供に漢字を教えるために用いられた漢文の長詩である。1,000の異なった文字が使われている。
南朝・梁(502-549年)の武帝が、文官の周興嗣(470-521年)に文章を作らせたものである。文字は、能書家として有名な東晋の王羲之の字を、殷鉄石に命じて、模写して集成し、書道の手本にしたと伝えられる。 王羲之の字ではなく、魏の鍾繇の文字を使ったという異説もあるが、有力ではない。
千字文はその昔、多くの国の漢字の初級読本となった。注釈本も多数出版されている。
また、書道の手本用の文章に使われ、歴代の能書家が千字文を書いている。智永(隋)、懐素(唐)、米元章(北宋)、高宗(南宋)、趙子昴(元)、文徴明(明)などの作品が有名である。敦煌出土文書にも千字文の手本や習字した断片があり、遅くとも7世紀には普及していた。
その後、「続千字文」(侍氏、宋時代)、「集千字文」(徐青藤、明時代)など類似本が創作されたが、周興嗣作の千字文が最も普及している。
目次 |
[編集] 構成
千字文は"天地玄黄"から"焉哉乎也"に至る、4字を1句とする250個の短句からなる韻文である。全て違った文字で、一字も重複していない。
書道の手本としては、智永が楷書と草書の二種の書体で書いた「真草千字文」が有名である。その後、草書千字文、楷書千字文など、様々な書体の千字文が作られた。また、篆書、隷書、楷書、草書で千字文を書いて並べた「四体千字文」などもある。
[編集] 日本への影響
『古事記』には、和邇吉師が応神天皇(270-310年)の治めていた頃の日本へ千字文と『論語』10篇を伝えたとされているが、これは千字文が成立する以前である。この矛盾については、記事自体をただの伝説であると捉えられたり、いくつかの事実を反映しているという意見や、別の千字の文が伝えられたという説がある。
正倉院へ光明皇后が寄進したときの目録:国家珍宝帳(751年)には「搨晋右将軍羲之書巻第五十一眞草千字文」があり、国宝の「眞草千字文」がそれだと推定されている。正倉院文書にも千字文を習字した断片があるので、8世紀には習字手本として使用されていた。最澄が延暦寺に納めた図書目録にも、唐から持ち帰った拓本の千字文が記録されている。平安時代の日本国現在書目録(890年頃)には、6種類の注釈本が記載されている。南北朝時代には注釈付本が出版され、天正二年には習字のための「四体千字文」も刊行された。江戸時代には多数の注釈本が刊行された。
類似本も、12世紀の三善為康の「続千字文」以後、生田萬(江戸時代)の「古学千字文」、無名氏「和千字文」などが作られた。
[編集] 朝鮮への影響
千字文が朝鮮半島へ入った年代は特定することができない。
この本は仏教と共に入り、漢字が朝鮮語において普及し使用されはじめた。世宗大王が15世紀に訓民正音(ハングル)を発布するまで、漢字はずっと朝鮮の唯一の文字であった。 宣祖の命令で韓濩(ハン・ホ;1544年-1605年)が木版印刷し、1583年以後、千字文は子供の教育に教科書として使用された。 大多数の朝鮮の学者、民衆は依然として漢字を使用し、それは20世紀の初期まで続いた。
千字文中の"日"から"水"の44の伝説は"三永通寶"の背面(朝鮮王朝時代の硬貨)に1つ1つ記録された。 千字文はその特有な漢字が現す形式をもって、すべての漢字にとって、文字はその意味(訓)を体現し、音をも体現している。 韓国の言語はしばしば変遷したが、語彙相対的な訓(セギム)をすべての版本で変えずに維持した。無論、16世紀に書となった光州版と韓石峰版の千字文は一部の漢字の説明に対して少し違いがある。韓石峰版と光州版とのセギムの違いは大体以下の様である。
- 定義が更に広範囲に渡ってあるいは全ての単独の漢字の語義の範囲は変化が発生した。
- 以前の定義は同義の字に取って代わられ、 そして、
- 一部の語音に変化が生じた。
これらの変化の中から朝鮮の固有語が"漢字語"に取って代わるのを見ることができる。ただ、とても珍しい語彙の意味が含まれているのは、16世紀以前の朝鮮の固有語の化石的語彙または全羅道方言の影響を受けたものと考えられる。