千葉さな子
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千葉さな子(ちばさなこ、1838年(天保9年) - 1896年(明治29年)10月15日)は、北辰一刀流剣術開祖千葉周作の弟の千葉定吉の道場(東京都千代田区)の娘で、北辰一刀流長刀師範。学習院女子部舎監。漢字では「佐那子」と書く。
北辰一刀流剣術、千葉定吉の道場に剣を学びに来ていた坂本龍馬と知り合い、維新回天の動乱期に駆け抜けていった彼を想い、一生を独りで過ごした。学習院女子部に舎監として奉職した後、千住にて家伝の針灸を生業としてすごした。婚約者と自称していたことが作家司馬遼太郎の作品などに指摘がある。千葉さな子が坂本龍馬に想いを告げた時、坂本龍馬は自分の紋付の片袖を破り、形見として渡したと言われている。 死後、身寄りがなく無縁仏になるところ、小田切謙明が哀れみ、小田切家の墓地のある山梨県甲府市に納骨されたという。墓石には『坂本龍馬室』と彫られている。