南部政行
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南部 政行(なんぶ まさゆき、?-1388年11月17日(元中5年/嘉慶2年10月18日)?)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武将。南部氏第12代当主。第11代当主・南部信長の子(異説として南部時実の子であり、信長の養嗣子となった説もある)。
当主としての力が無く、領地を同族に横領されていた。鎌倉幕府が滅亡して南北朝時代に入ると、北畠顕家が奥州を統治していた経緯からはじめは南朝勢力に与したが、1346年に足利尊氏の調略に応じて北朝勢力として寝返り、奥州の南朝勢力と戦って勢力を拡大した。1388年10月18日に死去し、後を南部守行が継いだ。法号は道行。源了院浄岳清光(清公)。
没年には異説も多いが、最も有力な説は1388年説である。
カテゴリ: 南部氏 | 鎌倉時代の武士 | 南北朝時代の人物 (日本) | 1388年没