原一平
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原 一平(はら いっぺい、本名日下部衛、1938年 - )は、日本のものまねタレント。北海道当麻町出身。北海道旭川東高等学校、最終学歴は専修大学経済学部卒業。
[編集] 来歴
進学校である旭川東高校に進学するため、当麻町から出て下宿生活を送る。当初、医学部を目指し浪人生活を送り、学資を稼ぐため農家にアルバイトに出向き、現地の青年団主催ののど自慢コンテストで優勝。さらに、NHKのど自慢への出場も果たす。そのとき原は三橋美智也でチャレンジしたが、審査員から、「三橋さんに似すぎている」「これは声まね大会じゃないんだよ」と諭されたという伝説を持つ。こうした経験からコメディアンを志し、北海道から上京。河合楽器製作所の営業社員、東京支社教育課長を経て芸能界入り。渥美清のものまねで世に出た。これは松竹の公認であり、病弱であった渥美の変わりに地方キャンペーンを勤めていた。そのため衣装等も渥美が映画で着用した本物を使っている。しかしながら、ものまね自体はあまり似ているとはいいがたく、衣装など、雰囲気で何とか押し切るという芸風である。東京演芸協会専務理事などの要職を歴任した。
1990年前後、ものまね四天王に対抗して、若人あきら(現・我修院達也)(郷ひろみの物真似が得意)、鯉川のぼる(鶴田浩二の物真似が得意)とともに「ものまね大魔王」を結成するも、その後自然消滅している。
[編集] 人物
- 芸名は、東京でごはんを腹一杯(はらいっぱい→はらいっぺい)食べられるくらいの人気者になりたい、という願からきている
- 兄は中央大学法学部に進んだ。親は原を医者にしたかったため、岩手医大の受験を勧めたのだという
- 2006年、北海道新聞に回顧録を連載