原喜彦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
原喜彦(はら よしひこ、1964年2月11日 - )は、日本のアマチュアレスリング選手。新潟県出身。日本体育大学卒。
新潟県立県央工業高等学校在職中の1992年、バルセロナオリンピックレスリング男子フリースタイル74kg級代表に選出される。メダル候補として順当に勝ち上がったが、5回戦終了後に規定の計量を受けなかったため失格となった。この失格は、原の個人的なミスではなく、日本選手団の監督・コーチの思い違いによるものであったため、原には世論の同情が殺到。一躍悲劇のヒーローとなった。日本選手団の役員であった笹原正三と平山紘一郎は、この失態を受けて、現地に応援に来ていた原の両親と妻に謝罪した。
妻は新潟放送アナウンサーとして活躍した原かおり。
カテゴリ: 日本のレスリング選手 | 新潟県出身の人物 | 1964年生 | スポーツ関係者関連のスタブ項目 | 人物関連のサブスタブ項目