古市 (伊勢市)
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古市(ふるいち)は、三重県伊勢市の地名。参宮街道の、外宮・内宮の中間にある古市丘陵を意味する場合が多いが、古市町のみを意味する場合がある。
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[編集] 概要
江戸時代以前は、丘陵にあるため水利が悪く民家もほとんどなく楠部郷に含まれていたが、伊勢参りの参拝客の増加とともに遊郭が増え歓楽街として発達し、宇治古市として楠部郷から分かれた。
江戸幕府非公認ながら、江戸の吉原、京都の島原と並んで三大遊郭、あるいはさらに大阪の新町、長崎の丸山をたして五大遊郭の一つに数えられた。
遊郭70軒、遊女1000人、浄瑠璃小屋も数軒、というにぎやかさで、「伊勢参り 大神宮にもちょっと寄り」という川柳があるほどに活気に溢れていたという。十返舎一九の「東海道中膝栗毛」にも登場した。
明治期に古市丘陵を迂回する道路が整備され衰退し、20世紀後半には麻吉が旅館として1件残るのみとなった。麻吉は古市丘陵の斜面に位置し、階段状の木造6階建てである。
[編集] 伊勢音頭
古市の遊郭の中でも、備前屋、杉本屋、油屋は別格で、中でも備前屋は古市屈指の大楼閣で大広間「桜の間」を持ち、ここで客をもてなす為に伊勢音頭の総踊りを遊女に唄い踊らせて有名であった。当時の伊勢音頭は、参宮街道の「間の山節(あいのやまぶし)」に念仏踊りを混ぜたようなものであったといわれる。
この備前屋の伊勢音頭のほか、伊勢神宮の遷宮の御木曳(おきひき)の際の木遣り歌などが、「荷物にならない伊勢土産」として、伊勢参りにきた人々によって全国に伝えられ、今も「伊勢音頭」の名で各地で残っている。
[編集] 伊勢歌舞伎
伊勢歌舞伎は全国的にも知られており、役者の登竜門として有名で、かつての七世市川團十郎や五世松本幸四郎や三世尾上菊五郎なども舞台をんでいる。また江戸や上方に出る前に、まず古市で名を挙げようとする者も多かった。しかし現在の古市にはその繁栄を示すものはほとんど残っておらず、わずかに資料館で歌舞伎の台本などが見られるのみである。