史思明
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史思明(ししめい、?-761年)は、唐中期の大規模な反乱であった安史の乱の指導者。
安禄山と同郷だったため親しい仲にあったという。また、自身も六ヶ国語に通じた教養に通じる人物であったため、次第に頭角を現していく。幽州節度使の部下であったときに戦功を挙げ、752年には安禄山の配下となった。
756年に安禄山が反乱を起こすと、河北で軍を率いて戦い、李光弼や顔真卿率いる唐軍と戦った。しかし、757年に安禄山が息子の安慶緒に殺されると安禄山の後を継いで燕王を称し、759年には安慶緒を殺害し、さらには長安に迫る勢いを見せたが、761年、養子を後継ぎにしようとしたために実子の史朝義によって殺された。
その後、史朝義も同年のうちに自殺したため、安史の乱は終息することとなった。