吉井信謹
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吉井 信謹(よしい のぶのり、嘉永6年1月20日(1853年2月27日) - 明治23年(1890年)10月)は江戸時代末期の大名。上野国吉井藩主。出羽国米沢藩主上杉斉憲の五男。上杉茂憲は実兄にあたる。正室は細川行芬の娘。幼名は鉄丸。官位は従四位下侍従・左兵衛督。
万延元年(1860年)5月20日上野吉井藩主松平信発の養子となる。元治2年(1865年)3月26日養父信発の隠居より、家督を相続する。慶応4年(1868年)2月22日「松平」姓から「吉井」姓に改める。新政府軍として戊辰戦争に参加した。明治2年(1869年)6月24日吉井藩知事となった。同年12月辞職し、吉井藩は岩鼻県に合併、廃藩となった。明治12年(1879年)8月4日隠居し、長男吉井信宝に家督を譲った。ほどなく吉井家を離籍し、上杉家に戻った。同年9月2日上杉本家から分家し、平民になった。
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