吉備津彦命
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吉備津彦命(きびつひこのみこと)は日本神道の神。吉備冠者(きびのかじゃ)ともいう。
別名(本来の名)を五十狭芹彦(いさせりひこ)といい、吉備国を平定した事によって吉備津彦を名乗る事になる。(吉備津とは「吉備国」の「津」であり吉備津彦とは「吉備の勢力者」の意味)
一説にはこの時の逸話(温羅伝説)が桃太郎のモデルの一つであったとも言われており、吉備国のあった岡山県はこれをして自県を「桃太郎発祥の地」として広いPR活動を行っている。
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[編集] 神話での記述
大和黒田盧戸宮(やまとくろだいおどのみや、現在の奈良県磯城郡田原本町)にて父・孝霊天皇と母・倭国香媛の間に生まれたとされる。一説には倭迹迹日百襲媛命が母(実際は姉)であったとも言われる。
四道将軍として腹違いの弟である稚武彦命と共に山陽道に沿って周辺域を平定。その大きな目的は吉備国制圧と同国の製鉄技術であったとされる。(和歌における吉備の枕詞には「まかねふく(真金吹く)」という語句があり、これが吉備国の主要産業が製鉄鋳造技術である事の裏付けであったと言われる)
岡山県にて広く語り継がれている吉備津神社の縁起物語によると、地域を荒らし鬼ノ城(きのじょう)に住む「鬼」である温羅(うら)を犬飼健(いぬかいたける)・楽々森彦(ささもりひこ)・留玉臣(とめたまおみ)という三人の家来と共に倒し、その祟りを鎮めるために温羅を神社の釜の下に封じたとされている。この家来たちを桃太郎の逸話に置き換えると「犬飼健=犬」「楽々森彦=猿」「留玉臣=雉」となる。また「釜の下に鬼を封じた」というのは、そのまま吉備津神社における鳴釜神事の縁起につながる。
実際には「温羅」とはそれまで吉備国を支配していた旧勢力に製鉄技術を供与していた渡来人もしくは地来の豪族であり、旧勢力に義理立てするために吉備津彦(ひいてはヤマト王権)と戦ったと言う見方がある。
吉備国平定後はここを足場として讃岐国、出雲国にも進出したとされる。なお香川県においても岡山県と同様に桃太郎伝説が存在するが、この「讃岐桃太郎」の主役は讃岐国平定にて先陣を切った稚武彦命であるとされる。
吉備津神社の社伝によると、その後、吉備津彦は吉備中山の麓に茅葺宮を造って住み、281歳で亡くなって中山の山頂(茶臼山)に葬られたとされている。この茶臼山古墳(正式名称:大吉備津彦命墓)は土地の人々には御陵や御廟と呼ばれており現在では宮内庁の所管地として管理されている。
余談ではあるが吉備津彦命の家来である犬飼健は犬養氏の始祖で犬養毅の祖先であると言われている。
[編集] 吉備津彦を祀る神社
- 吉備津神社 -- 備中国の吉備津神社を頂点とする吉備津彦信仰の総本社
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- 吉備津神社 (岡山市) -- 備中国一宮
- 吉備津神社 (福山市) -- 備後国一宮
- 吉備津彦神社 -- 備前国一宮
- 御崎(みさき)神社
- 艮御崎(うしとらみさき)神社
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- 田村神社--讃岐国一宮
讃岐の桃太郎伝説では(犬-犬島の住人、猿-猿王の住人、雉-雉ヶ谷の住人)とされる。
- 桃太郎神社鬼無権現熊野神社