吉成恒次郎
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吉成恒次郎(よしなりつねじろう、文政7年(1824年) - 明治10年(1877年))は、幕末の志士。明治時代の官吏。本姓は坂上氏。家系は坂上氏の流れを汲む田村氏の庶流。但し、本家・田村氏には平氏説あり。諱は一徳。仮名 (通称)恒次郎。変名は鈴木鉄之助。父は水戸藩士吉成又右衛門、母は軽部六郎左衛門政行の女。義弟に原熊之介がいる。位階は贈正五位。
[編集] 家系
白河氏の家臣に陸奥国三春城主 田村氏庶流の吉成氏あり。佐竹氏の家臣を経て、水戸藩に仕官する。
- 吉成氏系譜
- 田村義顕-田村行顕-田村補守-吉成政房-吉成清信
[編集] 生涯
尊皇攘夷の藩風に触れて成長し尊皇志士となる。剛勇にして鉄砲技術に通じていた。弘化元年(1844年)、幕府が徳川斉昭に致仕を命ずると、恒次郎は宥免に奔走し処罰を受ける。桜田門外の変では予備要員として備え、井伊直弼暗殺に成功すると薩摩藩邸に逃れた。やがて、身柄は水戸藩に引き渡され一時慎みを命ぜられた。明治元年(1868年)復職し、やがて軍務寮に出仕した。