吉村功成
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吉村功成(よしむら ことり、1965年3月-)は長崎県生まれのゲームクリエイター・プログラマー。改名前の名前は吉村功成(よしむら かつのり ※同字異音)。通称うるにゃん(urdcat)。
テクノソフトの創業時メンバーであり、在職時にサンダーフォース、プラズマラインなどを生み出す。
1985年8月にテクノソフトを退社し、同11月11日にアルシスソフトウェアの創業役員となる。ここでもスタークルーザー等の伝説的作品を残すが、会社は2001年に倒産する。本人は倒産直前に社長と縁を切ったとし離脱している。
この頃までの日本のPCゲーム黎明期に極めて質の高い世界観とシステムを持つゲームを次々と発表し、その作品は一部コアなファンの間では絶大な人気を博する。アルシスソフトウェアの作品全般に言われることだが、"早すぎた名作"が多く、それを惜しむ声は多い。しかし、それとは裏腹に4,5年開発に関わったオメガブーストでは作業したプログラムが1行も使われていない事を告白している。
2001年末にはトレジャーに入社。途中までゲーム開発に従事(後に作っていたプログラムが破棄された事を告白)していたが、スタークルーザー復活プロジェクトの立ち上げを宣言する。会社に居ても暇ゆえに小説を自ら作った仕事と公言するも、まもなく(2002年10月に)解雇予告を受ける。
解雇予告後、以前から参加していた飲み会を就職活動の場として参加するようになるが、飲み会メンバーの掲示板にホームレス発言をするまでの数ヶ月間、苦境が続いた。その結果、同年末にペガシスに入社。ゲーム以外の業界に就職するにあたり、ゲーム制作には向いていないと判断したと告白している。
ペガシスでは、アセンブリ言語を用いたプログラミング能力が高いためかアセンブリレベルでの高速化を担当していた。一方、復活プロジェクトはいつの間にか趣味扱いになっていたが、開発スタッフの募集や会社に作品への要望を送るよう呼びかけるなど活動は活発だった。2005年春、過眠症などの体調不良により勤怠状況が悪化する。その改善を図る中で性同一性障害(GID)である事を告白(極部分的では有るものの、半陰陽でもあるとも公言)し、周囲を驚かせた。勤怠状況は一時的に改善するも同7月には再度悪化したために退職を余儀なくされたとしている。
ペガシス退社後、まもなく神楽坂ソフトウェア工房の看板を掲げ、一年後を目処に法人化を目指すとして活動を始める。しかし、しばらくしてから経済的苦境に見舞われるようになる。(2006年9月)現在では某大手ゲームメーカーのセカンドパーティに仮在籍し、経済的苦境から脱出すべく健闘中である。