吟遊詩人
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吟遊詩人(ぎんゆうしじん)とは、詩曲を作り、各地を訪れて歌った人々を指す。英語では一般にジョングルールやミンストレルをこの意味で使用する事が多い[1]。
イスラム文化圏では非常に古くから存在していることが知られる。西欧では主に中世の10世紀頃から15世紀頃に掛けて現れた人々を指す事が多いが、ホメロスなど古代ギリシア時代の詩人の多くも吟遊詩人であったし、ゲルマン叙事詩『ベオウルフ』の成立に関与したと思われるスコプと呼ばれたゲルマン系の吟遊詩人達の存在も知られている。
中世西欧文化における吟遊詩人としてのジョングルールは低層階級の放浪の音楽師として8世紀頃からフランスの記録に現れる。彼らは特に中世の歴史的な事件、あるいはその他の場所での史実についての物語を広め伝えるために歌を歌った。またその中から特定の宮廷に仕える音楽師達も現れ、彼らをローマ時代からの伝統的な言い回しに由来するミンストレルと呼ぶが、ジョングルールとミンストレルは当時に於いてもしばしば混同されている。また、北フランスからドイツ各地に掛けてゴリアールと呼ばれた、放浪の学僧達がいた事も知られている。さらに、イタリア北部でラウダを作り歌いながら伝道していた托鉢修道会の修道士達もまた吟遊詩人達と言えるであろう。
11世紀頃になると、イスラム文化圏からの影響とする説があるが、南フランスの宮廷からトルバドゥールと呼ばれた吟遊詩人達が現れ、主に形式化された宮廷愛、あるいは十字軍を主題とする歌を歌いながら各地の宮廷を遍歴した。彼らは主に城主や騎士といった貴族が多かったが、ジョングルールやミンストレル、一般民衆の出自の者も含まれている。しかしながらトルバドゥールとジョングルールとは地位的に明確に区別されていたようである。イタリア北部やスペイン北部でも彼らの活動が記録されている。 この文化は後にアリエノール・ダキテーヌという一人の著名な女性と共に北フランス及びイギリスへ伝搬し、こちらでは彼らはトルヴェールと呼ばれて、詩の内容も変化してくる。ドイツ・オーストリア圏では12世紀頃に、フランスの文化に触発されたと思われる、主に騎士達の中から理念風の愛「ミンネ」を歌うミンネゼンガーが現れた。
13世紀以降、騎士の没落と共にトルバドゥール、トルヴェール、ミンネゼンガーといった騎士文化を背景とする吟遊詩人は終わりを告げる。 ジョングルール達もまた、裕福になった市民階級の町の催しを主体に活動するするようになって、吟遊詩人という座から次第に姿を消す。 15世紀までには既に宮廷音楽は多声化を迎え、宮廷楽師や専門の作曲家達が、専門の詩人達の詩を元に音楽を作る時代になり、ジョングルール達の歌う素朴な詩歌は完全に過去の物となっていった。 一方イタリアにおいては、特にフィレンツェ、ヴェネツィア、ナポリを中心として、16世紀頃までフロットラを歌うカンティンパンカと呼ばれた民衆の吟遊詩人達がいた事が知られている。 また15世紀からはヨーロッパにジプシーが現れ、異邦人として差別されながらも、かつてジョングルールが務めていた物語の伝承や辻音楽師といった姿を今に残している。
ケルト人社会では、祭司階級であるドルイドの中の専門職として、彼らの神話や歴史、法律などを詩歌の形で記憶し伝承する役目に特化したバルド(バード)と呼ばれる吟遊詩人がいた。
[編集] 脚注
- ^ P.ドロンケは、当時に於いてもこのように混同した使い方をしているがため、後に研究する上での障害になっていると苦言を呈している。(資料参照)
[編集] 関連項目
[編集] 資料
- 『中世ヨーロッパの歌』ピーター・ドロンケ著、高田康成 訳、2004年 水成社 ISBN 4891765216