周淮郡
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サンズイの「淮」ではなく、ニスイの「准」で「周准郡」という表記も行われていた。また、いずれの表記においても「すえ郡」と読まれることもあった。なお,「淮」の一般的な音は「ワイ」または「エ」であり、「准」の一般的な音が「ジュン」であることから、2つの文字の形と音が混同されていたものと思われる。
[編集] 沿革
- 1878年(明治11年)郡区町村編制法により、郡役所は望陀郡、天羽郡とともに望陀郡木更津村(現木更津市)に置かれた。
- 1889年(明治22年)4月1日の町村制施行の時点で12村を数えた。
- 1897年(明治30年)4月1日 望陀郡・天羽郡と合併して君津郡となる。