哀帝 (漢)
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哀帝(あいてい 紀元前26年 - 紀元前1年 在位紀元前7年 - 紀元前1年)は、前漢第12代皇帝。姓は劉。諱は欣。父は定陶恭王・劉康(元帝の第2子)。生母は丁貴人。
[編集] 略伝
3歳で父が早世し、定陶王を継いだ。祖母の傅氏と生母の丁氏が伯父・成帝の愛妾である趙飛燕に賄賂を贈り、これが功を成して、17歳で伯父の皇太甥となった。紀元前7年、養母の趙飛燕の後楯で20歳で即位した。しかし、哀帝は男色を好むこと甚だしく、特に寵愛した董賢に惜しみなく富や称号を与えた。また紀元前2年(元寿元年)の冬12月に、大司馬に昇進させた。挙げ句の果てには、董賢に皇帝の璽綬(印と綬)を授け、帝位まで譲り渡そうとした。また亡父には「孝恭皇帝」の諡号を贈ったという。しかし、翌紀元前1年(元寿二年)の夏6月に、26歳の若さで崩御した。彼には嗣子はなかった。
なお、その董賢は彼を憎悪し、嫌っていた王太皇后(王政君)によって、即刻に処刑されたという。ちなみに男色を意味する「断袖」の故事で有名である。
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