国中連公麻呂
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国中連公麻呂 (くになかのむらじきみまろ、? - 宝亀5年(774年))は、造東大寺司次官、仏師。百済渡来人完了(徳率)国骨富の孫とされる。
[編集] 略歴
- 天平17年(745年)外従五位下になる。(正七位下より。)
- 翌年、造仏長官になり、東大寺盧遮那仏の造像と大仏殿建立の指揮を執る。
- 天平21年(749年) 従五位上長官大夫。
- 天平宝字2年(758年) 大和国葛下郡国中村に移住。国中連姓を与えられる。
- 天平宝字5年(761年) 法華寺浄土院造営。
- 瞬一級。造東大寺次官。造香山薬師寺所、造石山院所に関係する。
- 天平神護元年(765年) 但馬員外介。
- 天平神護3年(767年) 従四位下。
- 宝亀5年(774年) 歿。
[編集] 関連項目
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