国家 (書名)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
『国家』(こっか、『国家篇』とも)は、古代ギリシアの哲学者プラトンの著作。原題は、『ポリティア』(Politeia)とも訳す。伝統的な副題は「正義について」。10巻からなる対話篇で、プラトンの中期の作品と考えられる。対話篇とは会話体、一種の戯曲のかたちで書かれた哲学書である。もともとはプラトンの創立した哲学と数学のための学院、アカデメイアの講義のかたわら学生が、これを読んで勉学の一助とするために執筆されたものと伝えられる。但し、プラトンが執筆した講義ノートの類は残っておらず、それが実際にはどういうものであったのかは不明。彼の弟子、アリストテレスの場合は、講義ノートのみが現存し、彼も学生向けに戯曲の形の読み物を書いたというが、それは散逸し、今に残ってはいない。
『国家』は、後期の作品と考えられる『法律』と共に他の対話篇と較べて突出して長い。また「魂に思慮し、善く生きる」というソクラテスの思想を、プラトン中期思想に特徴的なイデアを中核に、個人だけでなく国家体制そのものにまで貫徹させようという壮大かつ創造性豊かな書である。そのため、プラトンの政治哲学、神学、存在論、認識論を代表する書とされ、西洋哲学において最も話題にされる。また、理想国家の発想は共産主義や後世の文学にも多大な影響を与えた。
目次 |
[編集] 内容
語り手はソクラテスであり、対話の聞き役は第1巻が主にトラシュマコス、それ以降はプラトンの実兄であるグラウコンとアデイマントスが交互に入れ替わりながら設定される。
[編集] 正義
第1巻における一人の人間における正義の分析から、第2巻以降は国家における正義の分析に移り、国家の政治をつかさどる人(守護者)の魂のあり方が、理想国家における守護者の育成を中心として、魂のあり方と政治体制の対応、正しい政治体制を実現するために必要な最高のイデアについての説を通じて論じられる。
[編集] 教育と魂の構成
第3巻からは、理想国家における教育が論じられ、正しい知識とたんなる思いなしが区別される。後者には模倣が含まれ、詩や絵画は模倣の一種であり、正しい知識ではないとされる。また守護者の育成には、神や国家に対する尊敬を損なうような神々についての説話(ホメロスにおけるヘラの嫉妬とゼウスの浮気などが想定されている)は教えるべきではないとされる。そこから詩人追放論と呼ばれる、教育から詩の学習を排除する構想が主張される。この思想は最後にもう一度繰り返される。
魂は三つの部分からなり、正しい魂のあり方とは三部分すべてが知識をつかさどる部分のもとに調和する状態であるとされる。三部分のどこが優越するかによって、魂の状態、すなわち人間がどのような性質になるかが決定され、これはそのまま民主制などの国家体制に対応されるものとされる。プラトンは最適者、気概に富む者、民衆の三種類を想定し、そのどれが社会において上位を占めるかに応じ、最適者支配制、富者による寡頭制、民主制、僭主制の4つの国家体制を描き、どのようにそのような体制の交代がありえるかを描写する。ここにはプラトンの経験したアテナイの民主制とシュラクサイの僭主制からの知見が投影されている。
[編集] 理想国家の身分制度とイデアの学習
プラトンの構想では、国家の守護者のうち、優秀なものを選んで、さらに哲学の学習をさせ、老年に達したものに国政の運営を任せる。これが「哲人王」の思想であり、そのためにはイデアの直接な観想が必要であるとされる。ここでイデアの観想は「線分の比喩」「洞窟の比喩」を用いて語られる。哲学によって、人は感覚的世界から真実在であるイデアの世界を知る(「線分の比喩」)。またイデアの直接的観想によってのみ、イデアの世界と現実の感覚的世界の間の隔たりと哲学する者の真実在へのあこがれ、また現実世界へのイデア的知識の適応は可能にされる(「洞窟の比喩」)。
[編集] 結び
現実からの類推に始まるイデアの学習がなぜ可能になるのか、プラトンは論証によっては答えを与えず、それらしい物語(ミュートス)によって、すべての人は魂の輪廻において出生前にイデアを見る機会とこの世界での生き方の選択の機会を与えられていることを語る(「エルの物語」)。対話篇『国家』は、この「エルの物語」によって結ばれる。
[編集] 関連項目
![]() |
この「国家 (書名)」は、哲学に関連した書きかけ項目です。この記事を加筆・訂正して下さる協力者を求めています。(ウィキポータル 哲学) |
カテゴリ: プラトン | 哲学書 | 政治思想 | 哲学関連のスタブ項目