国造
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
国造(くに の みやつこ・こくそう)は、律令制が導入される以前のヤマト王権の職種・姓(かばね)の一つである。音読みのときは「こくそう」とにごらないのが一般的である。訓の「みやつこ」とは「御奴(ミヤツコ)」または「御家つ子」の意味とされ、もともとは渡来系技術者集団に与えられた姓(かばね)のひとつ。
ヤマト王権の行政区分の一つである国の長と言う意味で、この国がしめす範囲は、律令国が整備される前の行政区分であるためはっきりと判明していない。元来、その地域の豪族が支配していた領域がそのまま国として扱われていたと考えられている。また国造の定員も1人とは限らず、一つの国に複数の国造がいる場合もあったようである。ヤマト王権への忠誠度が高い県主とは違い、元々、国主(くにぬし)と言われていた有力な地方の豪族がヤマト王権に服したときに、そのまま国造の姓が贈られ、かなりの自主性の下にその地方の支配を任されていた。そのため軍事権、裁判権を持つなどその職権の範囲はかなり広かった。
大化の改新以降は世襲制の名誉職、主に祭祀を司るものになり、従来の国造の職務は郡司に置き換えられた。また、国造が治めていた国は整理・統合、あるいは分割されていき、律令国に置き換えられていった。
[編集] 大化の改新(七世紀後半)以降も存続した国造
- 出雲国造 - 明治にいたるまで大きな権威をもつ祭祀者として続き、その血統の長さは天皇家に匹敵する。出雲大社の最高神職として、現人神のように信仰を集めた。南北朝時代に千家・北島の両家に分裂したが、現在も出雲大社の宮司家として出雲国造家は続いている。
- 紀伊国造
- 沼田国造 - 古代には、現在の広島県三原市の沼田(ぬた)地域を治めた。中世になると、この地域は沼田荘(ぬたのしょう)となり小早川氏の支配下に置かれたが、沼田国造家である筑紫家は、沼田神社の社家として戦後まで続いた。なお、筑紫の読みは「つくし」であり、九州発祥の筑紫(ちくし)氏とは無関係である。
- 安積国造 - 福島県郡山市に安積(あさか)国造神社が現存する。同社の社家の安藤家は安積国造家の末裔であるとして安積姓を名乗る。
- 木簡で判明している国造
- 伊豆国造
- 針間国造
- 尾張国造
[編集] 関連項目
カテゴリ: 古墳時代 | 飛鳥時代 | 歴史関連のスタブ項目