国風文化
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国風文化(こくふうぶんか)
894年(寛平6年)に菅原道真の意見で遣唐使が停止されたが、この頃から10世紀の初め頃にかけて日本独自の文化が発展した。中国の影響が強かった奈良時代の文化(唐風)に対して、これを国風文化と呼んでいる。現在まで続く日本の文化の中にも、この流れを汲むものが多い。 唐風の文化を踏まえながらも、日本の風土や生活感情にあった文化である。
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[編集] 文字
奈良時代から日本語を表記するため、漢字の音訓を借りた万葉仮名が使われていたが、この時代になってひらがな、カタカナが使われるようになった。カタカナは漢字の一部に由来し(例:伊→イ)、漢文を訓読する際の補助文字として使われた。また、ひらがなは漢字の草書体を元にしたもので(安→あ)、主に女性が用い始めた。
- 紀貫之が書いた『古今和歌集』の「仮名序」は、漢文の用法を遺しながらも、平仮名で書かれた和文として初期のものである。(ひらがなを参照)
- 日本最初の百科事典『倭名類聚抄』が源順により編纂された。
- 書道では三蹟と呼ばれる人物(小野道風・藤原佐理・藤原行成)が登場した。
[編集] 文学
[編集] 詩歌
[編集] 物語
- 竹取物語:現存する最古の仮名の物語。
- 伊勢物語:在原業平を主人公にしたといわれている歌物語。
- 宇津保物語:遣唐副使・清原俊蔭とその子孫を主人公とした物語。
- 落窪物語:継子いじめに苦しむ姫が貴公子と結婚して幸せになるまでを描いた物語。
- 源氏物語
[編集] 日記・随筆
- 土佐日記:紀貫之が土佐の守の任務を終えて帰る旅の途中のことを女性を装って平仮名で書いている。
- 蜻蛉日記:藤原道綱母が夫藤原兼家との生活の不満を綴った日記。
- 和泉式部日記:和泉式部が自らの恋愛について綴った日記。
- 紫式部日記:紫式部が宮中に仕えている時の事を綴った日記。
- 枕草子
- 更級日記:菅原孝標女が自分の人生を自伝的に綴った回想録。
- 小右記:藤原実資の日記。(漢文)
- 御堂関白記:藤原道長の日記。
[編集] 服装
湿度の高い気候に適応するため、袖口が広くなるなど、風通しの良いゆったりとしたシルエットになった。
[編集] 楽器
- 和琴
[編集] 宗教
[編集] 建築
和様を参照。
[編集] 彫刻
- 平等院鳳凰堂阿弥陀如来像:仏師定朝の現存する唯一の作品。
- 法界寺阿弥陀如来像
- 平等院鳳凰堂雲中供養菩薩像