土屋政直
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生誕 | 寛永18年2月5日(1641年3月16日) | |||
死没 | 享保7年11月16日(1722年12月23日) | |||
別名 | 左門 | |||
戒名 | 俊翁耆徳相院 | |||
主君 | 徳川綱吉、徳川家宣、徳川家継、 徳川吉宗 |
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藩 | 常陸土浦→駿河田中→常陸土浦 | |||
父母 | 父:土屋数直、母:水野忠貞の娘 | |||
妻 | 松平康信の娘、六条有知の娘(再婚) | |||
子 | 土屋昭直、土屋定直、土屋陳直、 娘(松平乗邑妻)、娘(岡部長敬室)、 娘(内藤義孝室)、養子:土屋好直 |
土浦藩主土屋数直の長男として生まれ、父の死後土浦藩を相続。その後駿河田中を経て、土浦に復帰。漸次加増をうけ、最終的に9万5000石となる。老中として4人の将軍に仕えたが、側用人制度には内心反対し、ポスト家継の後継争いの際、側用人の廃止を条件とし、徳川吉宗の援立に尽力する。吉宗は将軍につくと、老中たちに口頭試問をしたが、なんとか恥を掻かずに済んだのは3問中2問を答えられた政直のみであった逸話は有名。
享保4年(1719年)、老中を辞する。辞任・隠居後もとくに前官礼遇を受けた。また、茶道を嗜み、小堀政一の門人の一人でもある。
※赤穂浪士が吉良邸討ち入りの際、隣家の土屋主税逵直は、政直からみて伯父民部少輔利直の孫にあたる。逵直の次男好直を政直の養子としている。
[編集] 経歴
※日付=旧暦
- 1641年(寛永18年)2月5日、誕生。左門を称す。
- 1679年(延宝7年)4月2日、父数直卒、 5月10日、土浦藩家督相続、 9月13日、奏者番に就任。
- 1682年(天和2年)2月、駿河国田中に国替
- 1684年(貞享元年)7月10日、大坂城代に異動。 加増(2万石)
- 1685年(貞享2年)9月27日、京都所司代に異動。
- 1687年(貞享4年)10月13日、老中に異動、常陸国土浦に国替。1万石加増。
- 1694年(元禄7年)4月21日、加増(1万石)
- 1698年(元禄11年)9月17日、老中首座に就任。
- 1711年(正徳元年)12月、加増(1万石)
- 1718年(享保3年)3月3日、老中免、加増(1万石)
- 1719年(享保4年)5月28日、隠居致仕
- 1722年(享保7年)11月16日死去、享年82。
[編集] 官職位階履歴
※日付=旧暦
墓地:海禅院(東京都台東区)
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