土屋利直
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土屋 利直(つちや としなお)は、日本の武士・上総久留里藩の第2代藩主。土屋昌恒の孫。
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時代 | 江戸時代前期 | |||
生誕 | 慶長12年(1607年) | |||
死没 | 延宝3年閏4月24日(1675年6月17日) | |||
別名 | 平八郎(幼名) | |||
戒名 | 俊林道英普乾院 | |||
墓所 | 東京都台東区松が谷の海禅寺 | |||
官位 | 従五位下、民部少輔 | |||
藩 | 上総久留里藩主 | |||
氏族 | 土屋氏 | |||
父母 | 父:土屋忠直、母:森川氏俊の娘 | |||
兄弟 | 土屋利直、土屋数直、土屋之直 | |||
妻 | 正室:永井直勝の娘 継室:松平正綱の養女 |
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子 | 土屋直樹、相馬忠胤、土屋喬直 娘(内藤政晴室)、娘(水野忠増室) 娘(松平信定室) |
慶長12年(1607年)、初代藩主・土屋忠直の長男として生まれる。慶長17年(1612年)に父が死去したため、家督を継いで藩主となり、徳川家康に仕えた。慶長20年(1615年)の大坂夏の陣にも参戦したが、幼少のため、家臣を代理として参戦させ、相模小田原城と箱根関所の警備を務めた。
元和7年(1621年)からは徳川秀忠の近習となり、従五位下、民部少輔に叙位・任官する。寛永13年(1636年)、寛永19年(1642年)、慶安2年(1649年)には大坂加番に任じられている。延宝3年(1675年)閏4月24日に死去。享年69。後を子の土屋直樹が継いだ。
なお、のちに正徳の治という幕政改革を行なった新井白石、ならびにその父である新井正済らは、利直のもとで大目付として仕えていたことがある。
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