坪内祐三
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坪内祐三(つぼうち ゆうぞう、1958年(昭和33年)5月8日 - )は日本の評論家。 東京都出身。父は坪内嘉雄(フィクサー、ダイヤモンド社元社長、)。母は坪内泰子(童話作家)。妻は佐久間文子(朝日新聞記者)。前妻は神蔵美子(写真家)。
[編集] 年譜
- 1958年:5月8日東京都にて坪内嘉雄と泰子の長男として生まれる。父方の大叔父は織田正信(英文学者)。母方の曽祖父は井上通泰(国文学者・歌人・医師、柳田國男の兄)。兄弟は姉と二人の弟。
- 1965年:世田谷区立赤堤小学校に入学。
- 1971年:世田谷区立松沢中学校に入学。
- 1974年:早稲田高等学校に入学。松沢中学校からの進学者は学年で唯一人であった。
- 1977年:3月に早稲田高等学校を卒業。大学受験に失敗し、浪人生となり、お茶の水の駿台予備校に通い始める。
- 1978年:早稲田大学第一文学部に入学。同級生の藤原昭広(「プレジデント」編集長)と同じサークルに入るため、ミニコミ誌「マイルストーン」に参加。大学の先輩の一志治夫(ノンフィクション作家)と知り合う。
- 1982年:就職活動で文藝春秋やラジオ日本ほか数社を受けるが、失敗する。文藝春秋は筆記試験で落ちる。
- 1983年:一年間の留年の後、早稲田大学第一文学部人文専修卒業。卒業論文は「一九八二年の『福田恆存論』」(『後ろ向きで前へ進む』所収、指導教官は松原正)。早稲田大学大学院文学研究科英文学専攻に進学。
- 1987年:早稲田大学大学院文学研究科英文学専攻修士課程修了。秋頃、都市出版に押しかけ、編集者として採用され、雑誌「東京人」の編集者になる。
- 1990年:秋頃、都市出版を辞め、フリーの編集者・評論家として活動を開始する。
- 1997年:初めての単著「ストリートワイズ」を晶文社から上梓。
- 2000年:9月『明治の文学』(筑摩書房・全25冊)を編集し、最初の配本が始まる。11月29日深夜、新宿にて、筑摩書房の松田哲夫と共に帰途に就こうとしていたところをヤクザ風の二人の男から因縁をつけられ、言い返したところ、暴行を受け瀕死の重傷を負う。東京女子医大病院に入院。この事件の顛末は「三茶日記」「文学を探せ」「文庫本福袋」に詳しい。
- 2001年:1月2x日東京女子医大病院から退院。6月父親の事業の不調により赤堤の実家が競売にかけられ、人手に渡る。この件に関しては「文学を探せ」に詳しい。9月『慶応三年生まれ 七人の旋毛曲り』で第17回講談社エッセイ賞受賞。
- 2003年:3月福田和也、リリー・フランキー、柳美里と共に同人として、季刊の超世代文芸クオリティマガジン『en-taxi』を扶桑社より創刊。創刊号で安原顯に「記憶の鞭」を打ち、一部で話題となる。
- 2006年:1月早稲田大学教育学部での非常勤講師を終える。
[編集] 著作
- 『ストリートワイズ』晶文社、1997
- 『シブい本』文藝春秋、1997
- 『靖国』新潮社、1999(新潮文庫、2001)
- 『古くさいぞ私は』晶文社、2000
- 『文庫本を狙え!』晶文社、2000
- 『慶応三年生まれ七人の旋毛曲り―漱石・外骨・熊楠・露伴・子規・紅葉・緑雨とその時代』 マガジンハウス、2001
- 『文学を探せ』文藝春秋、2001
- 『三茶日記』本の雑誌社、2001
- 『後ろ向きで前へ進む』晶文社、2002
- 『雑読系』晶文社、2003
- 『一九七二―「はじまりのおわり」と「おわりのはじまり」』文藝春秋、2003(文春文庫、2006)
- 『新書百冊』新潮社、2003
- 『まぼろしの大阪』ぴあ、2004
- 『暴論・これでいいのだ!』(福田和也との共著)扶桑社、2004
- 『文庫本福袋!』文藝春秋、2004
- 『私の体を通り過ぎていった雑誌たち』新潮社、2005
- 『「別れる理由」が気になって』講談社、2005
- 『古本的』毎日新聞社、2005
- 『極私的東京名所案内』彷徨舎、2005
- 『同時代も歴史である 一九七九年問題』文藝春秋、2006
- 『考える人』新潮社、2006
- 『「近代日本文学」の誕生-百年前の文壇を読む』PHP研究所、2006
- 『酒日誌』マガジンハウス、2006
- 『本日記』本の雑誌社、2006
- 『変死するアメリカ作家たち』白水社、2007
[編集] エピソード
編集者の末井昭、写真家の神蔵美子(前妻)との三角関係が話題になったことがある(神蔵美子 の写真集「たまもの」参照)。
中学校時代の同級生には翻訳家の松本百合子がいる。
野口悠紀雄、猪瀬直樹、安原顯等と「論争」を交わした、当世論争王である。しかし仲俣暁生のネット日記「陸這記」におけるデタラメ(事実誤認)を批判した『en-taxiNo.05』のコラム「名前のない馬の飼い主をめざして 肆」において「中学から私立なのは宮台真司と福田和也の二人だけ」と記す事実誤認を犯してしまう。福田和也は国立のお茶の水女子大学附属中学校卒業である。
==関連項目==
カテゴリ: 日本の文芸評論家 | 編集者 | 1958年生 | 人物関連のスタブ項目