城崎郡
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城崎郡(きのさきぐん)は、兵庫県の北部(日本海側)にあった郡。人口41,455人、面積421.48 km²。(2003年)
和名抄では新田、城崎、三江、奈佐、田結、余戸の6郷、延喜式神名帳では、大社1座、小社20座をあげる。城埼郡とも書いた。和名抄では「支乃佐木」と訓じている。
1896年(明治29年)4月1日、郡再編により、気多郡(中筋村、日高村、国府村、八代村、三方村、西気村、三椒村、清滝村)、美含郡(竹野村、中竹野村、奥竹野村、香住村、奥佐津村、口佐津村、長井村、余部村)を編入した。
気多郡、美含郡編入以降では、1912年(大正元年)長井村九斗山地区を美方郡大庭村に分離、1950年(昭和25年)4月1日の豊岡市の市制施行、1955年(昭和30年)3月25日に養父郡宿南村から赤崎、浅井地区を編入、1955年(昭和30年)4月1日に港村、奈佐村を豊岡市へ編入、1958年(昭和33年)1月1日日高町上佐野地区を豊岡市へ分離、1976年(昭和51年)9月1日日高町西芝字大向野の一部で豊岡市と境界変更があり、郡境が変更されている。
2005年3月31日の時点で以下の4町を含んでいた。
2005年4月1日、香住町を除く3町が(旧)豊岡市および出石郡出石町・但東町と合併し豊岡市となり、香住町は美方郡美方町・村岡町と合併し美方郡香美町となったため城崎郡は消滅した。
[編集] 郡内自治体変遷
- 1889年(明治22)4月1日、市制町村制により1町9村に再編
- 1895年(明治28)3月15日、湯島村が町制施行(城崎町)
- 1896年(明治29)4月1日、気多郡(9村)、美含郡(9村)が城崎郡に編入。気多郡、美含郡が消滅
- 1904年(明治37)12月15日、西気村から清滝村が分村
- 1912年(大正元)長井村九斗山地区が美方郡大庭村に編入
- 1925年(大正14)10月1日、香住村が町制施行
- 1925年(大正14)11月1日、日高村が町制施行
- 1933年(昭和8)4月1日、八条村が豊岡町に編入
- 1943年(昭和18)4月1日、三江村、田鶴野村が豊岡町に編入
- 1950年(昭和25)4月1日、豊岡町、新田村、五荘村、中筋村が合体し市制施行(豊岡市)
- 1955年(昭和30)2月1日、城崎町、内川村が合体(城崎町)
- 1955年(昭和30)3月3日、三椒村、竹野村、中竹野村、奥竹野村が合体(竹野村)
- 1955年(昭和30)3月25日、香住町、奥佐津村、口佐津村、余部村、長井村が合体(香住町)
- 1955年(昭和30)3月25日、日高町、国府村、八代村、三方村、西気村、清滝村が合体(日高町)
- 1955年(昭和30)4月1日、奈佐村、港村が豊岡市に編入
- 1957年(昭和32)4月1日、竹野村が町制施行(竹野町)
- 1958年(昭和33)1月1日、日高町上佐野地区が分町し豊岡市に編入
- 1976年(昭和51)9月1日、日高町西芝字大向野の一部が豊岡市と境界変更
- 2005年(平成17)4月1日、城崎町、日高町、竹野町と豊岡市、出石郡出石町、但東町が合体(豊岡市)
- 2005年(平成17)4月1日、香住町と美方郡村岡町、美方町が合体(美方郡香美町)
- 2005年(平成17)4月1日、城崎郡が消滅