堀田正穀
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堀田 正毅(ほった まさざね、宝暦12年(1762年) - 文政2年閏4月25日(1819年6月17日))は、近江宮川藩の第5代藩主。父は第4代藩主・堀田正邦。母は八巻氏。正室は松平定温の娘。側室に亀井氏。官位は従五位下、豊前守。子に堀田正民、堀田正広、太田資始、娘2人。
幼名は門次郎。安永元年(1772年)の父の死で後を継ぐ。天明6年(1786年)1月11日に大番頭となる。寛政9年(1797年)には奏者番となった。文化12年(1815年)2月6日、子の正民に家督を譲って隠居し、文政2年(1819年)に58歳で死去した。墓所は東京都台東区浅草の金蔵寺。
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