場面緘黙症
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場面緘黙症とは、家庭では何の問題もなく話すことができるのに、社会不安のために、学校など特定の状況で話すことができない状態を言う。
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[編集] 解説
「DSM精神疾患の診断・統計マニュアル」では、子どもにまれに起こる精神疾患の1つとして「選択性緘黙」という名称で記載されている。 この疾患の子どもは(大人の場合も)、言語を話したり理解することが十分できるにもかかわらず、ある社会的状況に置かれると、話すことが求められても、話すことができないのである。 この子たちは非常に内気な様子を示したり、グループでの活動に入りたがらなかったりするが、行動面や学習面でほかの問題を持たない。 この子供たちの様子は、恥ずかしがり屋のひどい場合であるように思われる。しかし、場面緘黙症と恥ずかしがり屋との大きな違いは、症状が大変強く持続期間が長いということである。 例えば、ある子どもは、家にいるときには自由に話し、時にはうるさいほどおしゃべりなのに、学校では全く言葉を発したことがなく、それが何年も続いたりすることもある。
この疾患はコミュニケーション障害とは異なる。 というのは、この子ども達はたいてい、表情や動作やその他のやり方で、人とコミュニケーションをとることができるからである。また、広汎性発達障害や精神病性の障害の場合に、症状の1つとして、緘黙症状が見られる場合がある。
診断時に、自閉症スペクトラム障害やアスペルガー症候群との鑑別診断は難しく、混同されることがある。特に心理士の前で子どもが人に対して関心を示さない様子である場合がそうなる。こうして間違った診断のために適切な治療を受けることができない子どもがいることは、たいへん憂慮すべきことである。
場面緘黙症は通常、次のような特徴を示す。
- 家などでは話すことができるにもかかわらず、ある特定の状況(例えば学校のように、話すことが求められる状況)では,一貫して話すことができない。
- この疾患によって、子どもは、学業上、職業上の成績または社会的な交流の機会を持つことを、著しく阻害されている 。
- このような状態が、少なくとも一ヶ月以上続いている。(これは、学校での最初の一ヶ月間に限定されない)
- 話すことができないのは、その子がその社会的状況において必要とされている話し言葉を知らなかったり、また、うまく話せない、という理由からではない。
- コミュニケーション障害(例えば、吃音症)ではうまく説明できないし,また,広汎性発達障害、統合失調症またはその他の精神病性障害の経過中以外にも起こるものである。
“selective mutism”は、以前に“elective mutism”という名称だった。この名称のために「ある特定の状況で話さないことを自分の意志で選んでいる」と、心理学者でさえ誤解するような状況が広まってしまった。 しかし、場面緘黙症の人たちは、話そうとしても、極度の不安のためにどうしても声が出ないのであり、それで沈黙したままになるのである。故意に話さないのではなく、声を出すことができないのである。DSMでは1994年、故意に話さないのではなく、話すことができないのだと言うことを示すために、“selective mutism” と改称された。 しかしながら、これに類する誤解が、今なお多く流布している。例えば、2005年3月26日のABCニュースでは、ニュースリポートの中で、この疾患の原因はトラウマであるとか、わがままで故意に話さないなどと、誤った報道があった。
場面緘黙症の発生率は、明らかではない。というのも、この疾患にたいする一般の理解が乏しいために、多くのケースが診断されないままになっているからである。 報告された症例数に基づき、通例、発生率は1000人に1人の割合と推定されている。しかしながら、アメリカの精神医学誌The Journal of the American Academy of Child and Adolescent Psychiatryの2002年の調査では、その発生率は1000人中7人の割合に増加修正されている。
確定されている病因は一つもない。しかし、遺伝的な要因が関係しているということと、男子よりも女子により多く発生しているという研究結果がいくつか発表されている。この疾患に苦しむ人たちは、不安に陥った時、下記のような行動特徴を示す。このような行動特徴は、相手に失礼な行動と誤って受け取られてしまいやすいので、注意が必要である。
- 人と目を合わせることができない。
- ほとんど微笑まず、無表情である。
- 動きが固く、ぎこちない。
- 話すことが当たり前のこととして求められるような状況が、非常に苦手である。例えば、学校での出欠の返事をする、「こんにちは」「さようなら」「ありがとう」等と言うことができない。
- 他の人に比べて、物事をあれこれと心配しがちである。
- 物音や人ごみが苦手で、その影響を受けやすい。
- 自分のことや、自分が感じたことを話すのが苦手である。
一方、場面緘黙症の人たちは、次のような優れた面を持っていることが多い。
- 平均以上の知能や知覚を持ち、知的好奇心が高い。
- 人の考えや気持ちに対して、感受性が鋭く、共感性が高い
- 高い集中力を持つ。
- 善悪や公平公正さに対する感覚が優れている。
リストバンド:場面緘黙症の認識の向上のために、多くの人たちが身につけてもらおうと、青緑色のリストバンドを世界中に送る試みがなされている。
[編集] 治療
場面緘黙症は、年齢とともに自然に症状が改善されていくとか、大人になればそのうち治るなどとよく言われてきたが、本当は低年齢のうちに治療を受けることがとても重要である。そのままにしておくと、周りの人はその子は話さない子と考えるため、緘黙症状そのものが強化されてしまい、話すことがますます難しくなってしまう。このような場合は、誰もその子のことを知らない場所に環境を移すこと(転校等)で状況が変えられることも時にはありうる。
10代での治療は、必ずそうだというわけではないが、より難しくなる。
子どもに無理に話させようとしてもうまくいかない。そんなことをすれば、不安の程度をよけいに強めてしまい、緘黙症状が強化されるだけである。緘黙の子どもは、外からは、片意地を張っていてわざと話さないように見えることがよくある。というのも、子どもはそういう状況で、コミュニケーションやボディランゲージを全くしなくなってしまうため、見る人には失礼な行為と受けとられてしまうのである。
適切な治療は、子どもによって、年齢やその他の要因によって非常に異なる。 年齢の低い子どもに対しては、刺激フェイディング法が行われるのがアメリカやイギリスなど欧米では一般的である。
薬物治療については、精神医学界でも意見が分かれている。不安を取り除く薬はきわめて少量で効果があり、服用量が多すぎる場合だけが問題なのだと考える人たちがいる一方で、 子どもに対して、精神薬の副作用はたいへん危険であるため、少量であっても、たとえ一時的効果があったとしても使用すべきではなく、行動療法的なまた心理療法的な取り組みのほうが好ましいと考える人たちもいる。
[編集] 刺激フェイディング法
この方法では、患者はまず、コミュニケーションがとれる安心できる人といっしょに、条件が整えられたある状況設定の中におかれる。 治療上のたくさんの小さなステップを用意しながら、その状況設定の中に徐々に他の人を招き入れる。
これらのステップは、それぞれ段階別によく用いられる。「すべり込み手法(スライディングイン・テクニック」と呼ばれるもので、新しい人をすでに話している人のグループにすべり込ませていく方法である。この方法で、初めの1人や2人から、しだいに多くの人たちへと移って行くには、比較的長い時間がかかる。
[編集] 脱感作療法
次のステップへの心の準備を整えるために、最初は間接的なコミュニケーションでも良いとする。たとえば、より直接的なコミュニケーションに挑戦する前に、Eメールや電話、テープへの録音、インターネットのチャットなどの方法がある。
[編集] 薬物治療
フルオキセチン(fluoxetine)のような抗鬱剤が、場面緘黙症の子どもの治療に効果的であることを示すいくつかの学術的証拠があると考えている開業医もいる。 フルオキセチン以外の精神薬についても、不安を軽減しコミュニケーションを促す精神薬は場面緘黙症に効果があると、多くの医学界の人たちが考えている。しかし、子どもに対する精神薬の使用に対して厳しく反対し、精神薬が様々な行動障害の発生に関与するという医学的証拠はまだ得られていないと指摘する開業医や活動家《Peter Breggin・David Healy を参照》もいる。行動不安障害の子どもに対する向精神薬の投与に関する告発は、複数の製薬会社への民事訴訟(2005年継続中)以来、特に強まってきた。製薬会社は、非公開内部調査文書を事前に提示したが、その内容はフルオキセチン(fluoxetine)や他の抗うつ剤であるSSRIと、自殺や精神病、(そしてたいへん皮肉なことに)言語の発音や正常な社会性発達のための脳の部位へのダメージ等の危険性を増加させるというものだった。
from en:selective mutism(19:40, 5 January 2007)より部分的に翻訳。
[編集] 外部リンク
- 緘黙について国立特殊教育総合研究所