大塩天満宮
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大塩天満宮 | |
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所在地 | 兵庫県姫路市 大塩町汐咲1丁目50 |
主祭神 | 菅原道真公 |
社格等 | 郷社 |
本殿の様式 | 流造 |
例祭 | 10月14日・15日 |
主な神事 | 一ツ物神事 御面掛神事 |
大塩天満宮(おおしおてんまんぐう)とは、兵庫県姫路市にある神社(天満宮)。旧社格は郷社。氏子地域は姫路市大塩町(東之丁、宮本丁、中之丁、西之丁)、別所町小林、高砂市北浜町(北脇、西浜、牛谷)。秋季例大祭で奉納される毛獅子は兵庫県と姫路市の重要無形民俗文化財。
目次 |
[編集] 祭神
境内社
- 伊勢神社 中央殿-天照皇大神 右殿-八幡大神(応神天皇・神功皇后・玉依姫命) 左殿-春日大神(天児屋根命)
- 豊受神社 中央殿-豊受大神 右殿-恵美酒大神(事代主命) 左殿-熊野大神(進雄命)
- 塩釜神社-味耜高彦根神、塩土爺神 配祀 住吉大神
- 稲荷神社-宇迦之御魂神
- 愛宕神社-迦具土神
[編集] 歴史
神社由緒の大筋は、菅公(菅原道真公)が大宰府に左遷される途上で氏子地域に立ち寄られたことを由縁に、天神山(円山)山麓、旧大塩村(大塩町)字伊屋ヶ谷の伊屋明神(天穂日命、大己貴命)に菅公を奉祀、後に菅公が主神、在来の神が配祀となって天満宮を称したという内容である。
『播磨国内神名帳』の印南郡の項で、大塩天満宮氏子地域内にあったとされるものに、伊屋明神と旧小林村(別所町小林)字賀茂の賀茂明神(※注)がある。現在、賀茂明神は氏子地域外である別所町北宿(旧北宿村)の氏神・加茂神社として残っており、旧大塩壮(荘園名、大塩、別所、北宿、小林、北脇、西浜、牛谷の各旧村、中世は大塩氏が支配、現在の姫路市大塩町、別所町、高砂市北浜町)内において氏子別れ、分祀や合祀が行われていたことが伺える。また、その過程について幾つかの伝承があるため、元宮について神社由緒以外の説が2つある。
1つ目は、山麓の伊屋明神に菅公を祀ったのではなく、天神山に天満神社を創建しており、それが元宮であるという説。この天満神社に伊屋明神や賀茂明神が合祀されたとも言われている。2つ目は、旧小林村の賀茂明神が元宮で、菅公、伊屋明神が合祀されたという説。賀茂明神については、ある時期に氏子別れがあり、旧別所村(別所町別所)は日吉神社、旧北宿村は加茂神社を創建し分離独立したと言われている。
神社由緒を含めていずれの場合も、その後の南方の人口増加に伴って旧社殿地に遷宮されたという内容となる。元宮が判然としないこともあってか、現社殿地であり、旧社殿や伊屋明神のあった大塩中之丁に加え、天神山北方の牛谷丁も宮元であると言われている。
明治時代になって、天満宮の神宮寺であった天台宗玉樹山潮照寺とその末寺・実相院が廃寺となる。
松浦武四郎の選んだ聖跡二十五霊社の天満宮の1つに、大塩天満宮(境外摂社に日笠山山麓の岩神社)が檜笠天神として選ばれた。
平成10年、新社殿を造営し、大塩駅前の旧社殿地から駅南側の現在地に移転。
※注 賀茂明神は高砂市竜山の賀茂神社であるという説もある。
[編集] 祭事
- 歳旦祭・大護摩祈願祭(1月1日)
- とんど祭り・初謡曲(1月15日)
- 初天神祭(1月25日)
- 節分祭・星祭(2月3日)
- 春期例大祭・献華式(3月25日)
- 大祓・輪抜祭(6月30日)
- 天神祭(7月25日)
- 秋季例大祭(10月14日、15日)
- 神立祭(いづもまいり)(10月24日)
- 七五三祭(11月15日)
- 終天神祭(12月25日)
- 大祓・除夜祭(12月31日)
- 国恩祭(臨時祭、11年毎)
[編集] 秋季例大祭
10月14日、15日に行われる。一ツ物神事、御面掛神事が行われ、屋台(太鼓台)練りと毛獅子舞が奉納される。
[編集] 一ツ物神事、御面掛神事
一ツ物神事は氏子代表として男子の稚児が神前において献酌を行う神事である。神と接触することを目的として行われるようになったようで、一ツ物の稚児は依巫(よりまし、神霊に憑依される人)として神聖視されていた。烏帽子姿で、顔に化粧をし、魔除けとして額に「・・」の印(位星、アヤツコ)を入れる。かつては旧大塩村の東西から1名ずつ選ばれ、地面に足をつけないように馬に乗っての宮入が行われていたが、現在は氏子8ヶ丁から各1名ずつ一ツ物が選ばれ、肩車での宮入となっている。御面掛神事は、神前において白尉の面をつけ、翁が謡い舞う神事である。能楽の式三番とは形式が異なるが、千歳と翁の神歌、翁の舞が行われ、同じように翁が依巫となっている。
この二つの神事は、神霊の憑依や「童」や「翁」が神に近い存在であるという考えが元になっており、古い信仰の名残といえる。一ツ物や頭人のような稚児を依巫とする神事は、かつては多く神社で行われていたが、近隣では廃止されているところが多い。近隣の神社のほとんどが祭礼において渡御を行うこと、大塩天満宮と同じように渡御を行わない曽根天満宮(高砂市曽根町)で古式に則った一ツ物神事が行われていることから、近隣の神社の祭礼では、渡御を行う神幸祭としての性格が強くなり、一ツ物神事が廃止されたのではないかと考えられる。
[編集] 屋台、毛獅子
屋台は大塩町4地区(東之丁、宮本丁、中之丁、西之丁)、北浜町2地区(北脇、西浜)の6台が練り出される。
獅子は毛獅子と呼ばれるもので、胴幌(油単)一面が毛で覆われており、獅子の野性味を舞で表現する。道中舞(舞い子を数人で担ぎあげて鳥居から拝殿前まで舞い進む)と地舞がある。俗に、鎌倉、室町時代に起源があると言われている。屋台の6地区に北浜町牛谷、別所町小林を加えた計8頭が舞を奉納する。昭和63年に姫路市の、平成元年に兵庫県の重要無形民俗文化財に指定された。
由緒の項で出てきた日吉神社(別所町別所)、加茂神社(別所町北宿)においても毛獅子が奉納されており、旧大塩壮の全域で毛獅子が舞われている。毛獅子は別所方面から大塩方面へと伝わったと言われている。
[編集] 国恩祭
天保の大飢饉をきっかけに行われるようになった臨時祭。毎年、旧印南郡の11社、旧加古郡の11社から、両郡の1社ずつが催行する輪番制。
歳旦祭で護摩焚きを行うこと、大己貴命が祀られていることもあり神立祭(出雲参り、神送り)を行うこと、秋季例祭で奉納される屋台の棟に天満宮の神紋・梅鉢紋以外に左三つ巴紋も使われていることなど、祭事に関して天神信仰以外の影響が多くみられる。