大島連絡船
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大島連絡船(おおしまれんらくせん)は、日本国有鉄道(国鉄)が1976年(昭和51年)まで山口県柳井市の大畠駅から大畠瀬戸を渡り周防大島(山口県大島郡周防大島町・屋代島)の小松港までを結んでいた鉄道連絡船。
元々は島と本州の便を図る目的で山口県が開設した無料航路で、戦後になって無料運営が不可能になったことから国鉄の経営に移管されて有料になったものである。以来経営成績は良好で黒字経営を続けたが、大島大橋の架橋により廃止となった。
なお周防大島には国鉄バスの路線があり、鉄道が走っていない島に路線を持つ、唯一の例であった。
[編集] 航路概要
大畠~小松港 営業キロ3.0km 大畠駅から港までは徒歩5分
末期となる1976年4月当時は、34往復が所要13分で運行していた。同時期の使用船舶は、大島丸(266トン)と安芸丸(223トン)の2隻。大島丸は廃止後、宮島連絡船に転属している。