大東亜帝国 (学校)
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大東亜帝国(だいとうあていこく)とは、以下の大学群の総称である。
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由来と定義
1980年代に登場した用語であるが、この用語を誰が考え出したのかは明確ではない。当初は大東・亜・帝・国という区切りとなっていて大東文化大学・亜細亜大学・帝京大学・国士舘大学のみ含まれていた。大学受験に関する書籍を多く執筆している栗本慎一郎は、2006年現在でもこの4大学のみをまとめた用語として使用している。
登場した頃の文献を見ると、首都圏における準中堅私立大学をまとめるために作り出された用語であり、当初この大学群に取り込まれた4大学は、いずれも第二次世界大戦後に新制大学としての認可を受け、さらに、大学スポーツの分野で全国的に著名であるという共通点を持っていた。また、この用語が登場した時期の予備校やマスメディアの紹介は、大学スポーツで著名であることが記されているケースが非常に多い。
1980年代後半から徐々に東海大学を含める書籍・雑誌が増加して、バブル経済の時期までには大東文化大学・東海大学・亜細亜大学・帝京大学・国士舘大学の5大学を指し示す用語となった。東海大学が含まれた1980年代後半は、大学野球や箱根駅伝などで同大学が注目を集め始めていた時期であり、やはりこの時期の予備校やマスメディアの紹介でも、大学スポーツで著名である5大学として紹介されているケースが非常に多い。
その後、1990年代前半から一部の書籍で「国」を「國」と変えて國學院大學を含む記述が見え始める。また、2006年に週刊新潮が國學院大學と記述するなど、「国」の定義には振幅が見られる。しかし、多くのメディア及び高等学校の進路指導では引き続き国士舘大学を含めた5大学としてこの用語を使用している。なお、「国」を国士舘大学とするときは「国」と新字体、國學院大學とするときは「國」と旧字体を使用するケースが多い。また、国士舘大学及び國學院大學の両方が「国」の一文字にふくまれるので、合計6大学と紹介しているケースも存在している。
大学間の交流
大学間の交流はほぼ皆無に等しい。これらの大学が公的な連合を組んでいるケースもなく、また、学生レベルでもこれらの大学が中心となった集合体というのは存在していない。