大桑城
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大桑城(おおがじょう)は、鎌倉時代~戦国時代に現在の岐阜県山県市にあった山城。旧山県郡高富町と美山町の境にある古城山(標高405m)の山頂付近にある。
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[編集] 概要
- 古城山(標高405m)の山頂付近にあり、現在も曲輪、土塁等の遺構が残る。
- 古城山の南麓(現在の市場、椿野、市洞)には城下町があったという。城下町は越前国の朝倉氏の一乗谷城の城下町を参考にしたものであり、江戸時代まで残った。
[編集] 歴史
- 鎌倉時代の承久の乱の後(1250年頃か)、逸見他頼隆が築城。
- 室町時代になると、美濃国守護である土岐氏一族の大桑氏が入城。1496年(明応5年)、土岐定頼が改修する。
- 1509年(永正6年)守護代の斎藤氏が台頭してきた事もあり、土岐氏は拠点を川手城(現済美高校付近)から福光館(現岐阜市福光)に移し、さらに1532年(天文元年)に枝広館(現長良高校付近)に移す。
- 1535年(天文4年)、長良川の洪水で枝広館は流失する。当主土岐頼芸は拠点を稲葉山山麓に拠点を移す。その一方、土岐頼純は越前国の朝倉氏の協力で大桑城を拠点とし、城下町を開く。
- 1542年(天文11年)、斎藤道三に攻められ、落城する。
[編集] 現在
- 1988年(昭和63年)、近くにミニチュアの大桑城(模擬天守閣)が造られている。
- 大桑城、及び大桑城城下町の跡は、山県市教育委員会のてで発掘調査が進められている。