大沢基暢
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大沢 基暢(おおさわ もとのぶ、文政6年(1823年)? - 文久2年(1862年))は江戸時代の高家旗本。父は高家旗本大沢基昭。通称は乙次郎。官位は従五位下侍従、右京大夫。
文政8年(1825年)12月父基昭は基暢の丈夫届を幕府に提出する。基暢は当時3歳であったという。なお、父基昭の長男は早世しており、基暢は次男以下の男子であったと考えられる。
天保9年(1839年)将軍徳川家慶に御目見する。嘉永6年(1853年)1月27日高家見習に召しだされる。同年2月5日従五位下侍従・民部大輔に叙任する。同年10月2日高家職に就任する。同年12月26日父基昭の死去により、家督を相続する。文久2年(1862年)死去、40歳(?)。
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