大石くう
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大石 くう(おおいし くう、元禄3年(1690年) - 宝永元年9月29日(1704年10月27日))は、江戸時代中期の女性。忠臣蔵で有名な大石内蔵助良雄の娘。
元禄3年(1690年)赤穂藩筆頭家老大石内蔵助良雄とその妻大石りくの長女として赤穂の大石内蔵助邸で生まれる。大石主税良金は兄にあたる。赤穂藩が改易されたあと、大石家の屋敷も召し上げられたので元禄14年(1701年)5月に生母りくや兄の主税、弟の大石吉之進、妹のるりとともにりくの実家但馬国豊岡藩石束源五兵衛毎公邸に移っていった。その後、7月に内蔵助が山科に住居を落ち着けると、りくも子らを連れて山科へ移った。その後、吉良家討ち入り計画が進む中で連座を避けるために大石内蔵助は、討ち入りに加わることを望んだ長男主税を除いて妻りくや子らを絶縁し、元禄15年(1702年)4月15日に母りくとともに但馬豊岡へ戻ることとなった。その後、父内蔵助良雄や兄主税良金は見事吉良上野介の首級をあげて泉岳寺の主君浅野長矩の墓前に捧げ、お預かりの大名屋敷で切腹した(元禄赤穂事件)。その翌年の宝永元年(1704年)9月29日に父の後を追うようにくうも夭折した。享年15。豊岡の正福寺に葬られた。法名は正覚院本光妙智信女。
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