ノート:天皇制絶対主義
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このような名前の主義がある(あった)ということは検索してみてわかったのですが、現在の版を読んでも、その内容を理解できません。加筆修正が必要だと思います。--mochi 2005年11月29日 (火) 16:21 (UTC)
- わけわからん。 --忠太 2005年11月29日 (火) 16:37 (UTC)
天皇制を絶対主義の一形態として研究する理論などを紹介するのならともかく、なんかこの項目作成者個人が好き勝手に天皇制を評論しているだけなようにしか見えません。「歴史的背景」のセクションは丸々削除してもいいように思われます。Hermeneus (talk) 2005年11月29日 (火) 23:12 (UTC)
以下、本文( 2005年12月1日 (木) 05:59の版)からノートに移動します。もう少し推敲してから本文に入れてほしいものです。 --忠太 2005年12月1日 (木) 13:40 (UTC)
== 歴史的背景 == 天皇制の実質的な地位は、明治政府の意図した絶対的権力に基づく国家思想そのものであり、 社会整備や、教育現場における最高権力であった。しかしながら、その時代背景には、 権力者が独占的に政治と資本を支配し、その結果、国民の無権利や、不平等格差が非難され、 政治家への暴行、及び暗殺事件が多発していたことからも示されるように、天皇制絶対主義 という位置づけがなされたのである。 さらに、日本が軍事国家として巨大化していくうちに、天皇制絶対主義はこれとは違う もうひとつの様相を有してきた。それが世界でも有名な、植民地支配の象徴である。 日本国民はそれまでの不平等格差を政治家や天皇に向けるのではなく、侵略することに よって解消し、それこそ子供だけでなく大人までもが、天皇制の意義を見出すようになったのである。 世紀の大混乱の中で支持された天皇制絶対主義とその思想文学は、現代においても侵略的 意義(琉球民族とアイヌ民族の国家的侵略)の組み込 まれた大和民族のアイデンティティー そのものであり、多民族統制という民主主義プロパガンダを脈々と流しつづけているのである。
[1]の「…などと主張するのは余りに図式的であり意味がない」もPOVのような気がします(この指摘自体の妥当性はともかくも)。このような指摘が著名な歴史学者の意見としてあるのであれば、その出典をちゃんと記すのが良いでしょう。でなければ上の「歴史的背景」とあまり変わりありません。Hermeneus (talk) 2005年12月2日 (金) 20:55 (UTC)
そもそも天皇制絶対主義という独立した項目が必要なんでしょうかね。天皇制の中の一項目として設けたほうがいいんじゃないかと思いますけど。--Tamachan21 2006年1月7日 (土) 13:34 (UTC)