宇都宮懐久
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宇都宮 懐久(うつのみや かねひさ、生年不明 - 正平14年/延文4年7月19日(1359年8月13日))は、筑後宇都宮氏の武将。壱岐守。宇都宮貞泰の孫、宇都宮貞久の子。本姓は藤原氏。
四国の伊予国から南朝の懐良親王と共に九州の豊前国仲津に移った宇都宮貞泰の子の宇都宮貞久と弟の宇都宮貞邦は、同族の豊前宇都宮氏が、北朝(武家)方であったため、懐良親王と南朝方の菊池氏の本拠地の肥後国八代に移る。貞久の嫡子の懐久も同行。
宇都宮貞久、貞邦、懐久は、1359年の筑後川の戦いに懐良親王直属の軍の指揮武将として戦い、宇都宮貞邦、宇都宮懐久は討ち死にする。
懐久の嫡子の宇都宮久憲(久則)は、その後も祖父の貞久と共に南朝方の武将として筑後国を転戦する。後に、蒲池久憲と名のり、蒲池氏の名跡と遺領を相続する。
カテゴリ: 宇都宮氏 | 蒲池氏 | 南北朝時代の人物 (日本) | 1359年没