安倍吉昌
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
安倍吉昌(あべのよしまさ 天暦9年(955年)? - 長元4年(1031年)?)は平安時代の陰陽師・陰陽家。安倍晴明の次男(異説あり)。天文博士・陰陽博士・主計頭・陰陽頭などを歴任、従四位上に叙せられる。兄・安倍吉平や父・晴明の師家である賀茂氏の賀茂光栄らと共に陰陽道宗家として陰陽寮を統括する。
[編集] 実績
吉昌は晴明生前の寛弘元年(1004年)に陰陽頭に任ぜられている。本来は陰陽頭は賀茂氏や大中臣氏などの格式の高い陰陽家が歴任していたが、吉昌以降安倍氏と賀茂氏の安賀両家によって代々世襲されることとなり、やがては土御門氏と称する事となる安倍氏が独占していくこととなった。父である安倍晴明や兄とされる安倍吉平のように伝説や逸話は見当たらないが、陰陽寮のトップである陰陽頭に任ぜられている事から、実力や実績は父や兄同様に相当なものであったことが伺える。
[編集] 吉昌嫡男説
通説では安倍吉平が安倍晴明の長男(嫡男)とするのが主流であるが、吉平と吉昌の生年の差がほとんど無い(1年差)ことや、本来ならば嫡男が任ぜられるべき陰陽頭の職を次男であるはずの吉昌が就任していることなどから、安倍吉平は庶兄(異母兄)であり、安倍吉昌が晴明の嫡男ではないかとの説もある。漫画「陰陽師」を描いた岡野玲子氏も作品中に晴明と真葛の子(長男)として吉昌(作品中ではほとんど「ちいさいひと」と晴明に呼ばれている)を登場させている事から同氏も吉昌嫡男説を用いていることが分かる。
[編集] 吉昌の子たち
- 安倍成親(あべのなりちか)
ちなみに、結城光流著、あさぎ桜挿絵の小説(ライトノベル)「少年陰陽師」の主人公・安倍昌浩は安倍吉昌の三男となっているが実際にはおらず、架空である(昌浩の二人の兄のうち、上記の成親は実在するが昌浩次兄とされる安倍昌親も架空である)。