安藤道紀
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安藤 道紀(あんどう みちのり、宝暦11年(1761年) - 文政7年11月13日(1825年1月1日))は、紀伊田辺藩の第12代当主。第11代当主・安藤次猷の子。正室は飛鳥井雅重の娘、継室は中御門宗美の娘。子に安藤直與、男児は他に8人いたが全て早世。女児も三浦為積室を除いて早世。
幼名は益之助。享和元年(1801年)5月9日、先代当主の安藤次猷が隠居したため、その後を継ぐ。政治改革のため、養蚕御用所の設置、城下の戸数、牛馬の調査などを行なった。文化5年(1808年)5月16日に家督を子の直與(ただし、安藤直之の子とも)に譲って隠居し、文政7年(1824年)11月13日に死去。墓所:愛知県岡崎市大和町の妙源寺。
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