宣明暦
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宣明暦(せんみょうれき)とは中国暦の一つで、かつて中国・日本などで使われていた太陰太陽暦の暦法である。正式には長慶宣明暦(ちょうけいせんみょうれき)と言う。
唐の徐昴が編纂したもので、当時としては優れた暦法であり、特に日食や月食の予報に進歩が見られた。中国では、唐の長慶二年(822年)から景福元年(892年)までの71年間使用された。
日本へは、天安三年(859年)に渤海使がもたらし、それまでの大衍暦に代わって貞観四年(863年)から使用が開始された。
その後、朝廷の衰退や暦学の停滞などにより改暦が行われず、貞享二年(1685年)に貞享暦に改暦される前年の貞享元年(1684年)まで、823年間の長きに亙って使用されることとなった。大変長く使用されたために誤差が蓄積し、江戸時代初期には二十四節気や朔などが実際よりも2日早く記載されるようになっていた。
また、暦の編纂は本来は朝廷が独占して行うものであり、暦の算出法に関する書物は陰陽寮以外には秘書とされていたが、宣明暦があまりにも長く使用されていたために、次第に民間に流布するようになり、さらには出版されるようになった。さらに、鎌倉時代以降は朝廷の力が弱まり、京で作られた暦が地方へ伝達しにくくなったことから、各地で独自に宣明暦の暦法によった暦(民間暦)が作られるようになった。
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