宮戸優光
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
宮戸優光(みやとゆうこう、1963年6月4日 - )は、元プロレスラー。本名は宮戸成夫(しげお)。神奈川県出身。現役時公称身長177cm、体重93kg。
1985年9月6日の第1次UWFデビュー後、安生洋二と中野龍雄を撃破し頭角を現す。キャラクターやファイト・スタイルが地味なせいか、UWFファン以外のプロレスファンの間では、さほど知名度は高くはないが、著作や雑誌でのプロレス評には、若干の定評がある。後ろ回し蹴りのスピードと威力は絶大。
1988年、第2次UWFの旗揚げに参加。前田日明、高田延彦らと行動を共にしたが、選手間での結束を呼びかけた前田に安生とともに異を唱え、第2次UWF解散の要因をなす。その後、UWFインターナショナルの旗揚げに参加する。選手というより、取締役として積極的な政策を次々と実施し「Uインターの頭脳」と呼ばれた。新間寿にも喩えられるその手腕は他団体の人間にも知られており、1億円トーナメントの開催や高田延彦対蝶野正洋戦実現のため新日本プロレス事務所訪問事件を牽引した。そのため、次項に述べる対抗戦を主導した長州力にはかなり疎まれていた。
1995年9月、新日本プロレスとの提携路線に反発し、Uインター退社。よって、10月9日の新日本プロレス東京ドーム大会で開催された「新日vsUインター全面戦争」の第5試合として組まれていた「対蝶野正洋」戦は流れた。今でもファンの間では、「この試合を観てみたかった」とする声が少なくはない。それから事実上レスラーも引退していたが、時折、「PRIDE」のイベントで、高田延彦や田村潔司のセコンドとして登場する。
引退後は料理人を目指し、周富徳に弟子入りし熱心に中華料理の勉強するなどして厨房にたっていたが、プロレスへの情熱を捨てきれず、1999年、レスリングの一般会員制ジム『UWFスネークピットジャパン』を設立。現在はその代表である。ヘッドコーチはビル・ロビンソン。
2003年7月、著書『U.W.F.最強の真実』発売。本書では、UWFならびにUインター隆盛・崩壊までの顛末・裏事情を克明に述べられている。一方で、本書の中では、プロレス八百長説を否定しているととれる彼独自の主張もいくつか散見されるのも特徴。古きよきプロレスが影を潜め、あらゆるプロレススタイルが乱立するのを嘆く反面、「UWFはすべて真剣勝負」とも断言はしておらず、UWFスタイルがどれくらいシュートに徹していたかを有耶無耶にしたまま終始している。
2006年5月、かつての同胞・垣原賢人の引退試合でも、新日本プロレスのリングに姿を現した。