UWFインターナショナル
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UWFインターナショナル(ユーダブリューエフ-)は、高田延彦が新生UWFの解散に伴い、1991年5月10日に旗揚げし、1996年12月に解散したプロレス団体。正式団体名は「ユニオン・オブ・プロフェッショナル・レスリング・フォース・インターナショナル(Union of Professional Wrestling Force International)」、通称:Uインター。
新日本プロレス時代には一若手選手、新生UWFでは前田日明に次ぐポジションであった高田を絶対エース(詳細は後述)に据え、ピーク時は大会場での大会を満員にするほどの人気だった。日本プロレス史上、最大の対抗戦となった新日本プロレスとの抗争の実現、桜庭和志の発掘など、後のプロレス業界、格闘技業界に与えた影響は大きい。
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[編集] 運営体制
会社経営者でもあった鈴木は経営面をサポート、帰国子女で英語が堪能な安生は外人選手招聘の責任を負い、宮戸は団体のコンセプトを打ち出して団体の舵を握った。
[編集] 特色
格闘技色を打ち出したプロレスと評された新生UWFを母体とした。新生UWFから分かれた他の二派、リングス、藤原組(後にパンクラスに分裂)と比較すると、Uインターはプロレス回帰の姿勢を打ち出した。代表的な取組例として、最高顧問に往年の名プロレスラールー・テーズを据える、プロレスリング世界ヘビー級王者を頂点とする、タッグマッチ(「ダブルバウト」と呼称)の採用などが挙げられる。
UWFルールを以下の様にマイナーチェンジした。減点制、ブリッジの高いスープレックスがポイント対象になるなどが最大の特徴である。
- KO、ギブアップ、レフェリーストップなど以外にも持ち点がゼロになるとTKO負け。持ち点は以下の通り。
- シングルバウト:15ポイント
- ダブルバウト:21ポイント
- トリプルバウト:30ポイント(設立当初は設定されず、末期に実施された6人タッグマッチで採用)
- 減点数
- ダウン:3
- ロープエスケープ:1(ダブルバウトで相手に技をかけられているときにコーナーの味方にタッチするとエスケープと同等とみなされる)
- スープレックス:1(団体崩壊直前に廃止)
- フォール:5(団体崩壊直前に新たに採用されたルール)
- 反則:レフェリー裁量
- ダブルバウト、トリプルバウトの際は、通常のプロレスルールと異なり試合権を持つ者以外はリングに入ることが出来ない。
Uインターは「プロレスこそ最強の格闘技である」というポリシーの元、「プロレスラーは現実に強くあらねばならない」とタイからムエタイの選手を招聘し、レスリングのコーチも雇うなど、練習環境は格闘技を実践するためのものだった。それを裏付けるように、その後Uインター出身の多くの選手が格闘技の試合をこなした。
この理念は、昭和の新日本プロレスと共通する部分が大きい。実際、宮戸はアントニオ猪木の大ファンであり、高田に往年の猪木と同様の絶対エースのポジションを与え、数々のマッチメイクを行った。以下のようなアングル展開は新日本プロレスの常套手段であった。
- ボクシング元世界王者トレバー・バービック戦:
- デニス・カズラスキー、佐野巧真とのダブルヘッダー:
- 高田との対戦を表明した両者であったが、話題性や集客力には乏しかった。そこで同日2連戦という方式で注目を集めた。
- 元横綱北尾光司戦:
- 当時、プロレス団体を渡り歩き、空拳道所属であった北尾との対戦。前哨戦として山崎一夫が北尾に惨敗し、危機感を煽った。一説には、北尾側に提示したブックを本番で反故し、無警戒の北尾にハイキックを叩き込んだと言われる。
そして、昭和新日と同様に、常に他の格闘技、他の団体へ挑戦的な姿勢を取り、安生洋二のヒクソン・グレイシー道場破り事件、リングスの前田日明との舌戦、メジャー5団体のエースに参加を呼びかけた「1億円トーナメント」事件(記者会見を行う当日に金融機関から1億円を借り、記者団の前でうず高く積まれた現金を見せ付け、その日のうちに返済。金利もきちんと支払ったという。余談だが、鈴木が現在経営している飲食店の名は「市屋苑(いちおくえん)」という)、高田延彦対蝶野正洋戦実現のためのUインターフロントの新日本プロレス事務所訪問などを引き起こした。これらの事件は、支持を得ると同時にUインターへの反感も高め、これら一連の出来事は1995年9月から始まった新日本プロレスとの全面対抗戦の起点となった。
BUSHIDO(ブシドー)の名で海外でテレビ放映され、テーズが解説を務めた。イスラエルのプロモーターから招聘されて興行を行い、リトアニアではブシドーの名を冠したリングス系の格闘技イベントが現在も開かれている。
[編集] 解散
団体運営に情熱を失った高田延彦の参議院選挙への立候補、Uインターの興行からの長期離脱。外国人選手のファイトマネー高騰、安生洋二によるヒクソン・グレイシー道場破りの失敗。中堅選手山崎一夫の「フリー宣言」による退団。経営難を理由とした新日本プロレスとの全面対抗戦での高田延彦の敗北(新日本側から対抗戦の条件として呑まされたブックだったとも)。新日本プロレスとの提携に対する意見の相違から、次世才のエースと期待された田村潔司と、団体の方向性を決めていた宮戸が退団。 この宮戸退団により、「プロレスこそが最強」のUインターの理念が消失する。安生洋二、高山善廣、山本健一によるエンターテイメント色の濃いユニットゴールデン・カップスが登場し、東京プロレスとの業務提携において、高田vsアブドーラ・ザ・ブッチャーが実現するようになる。このため、従来の最強路線を支持していたファン達は失望した。
1996年12月27日の大会終了後、Uインターはファンの前で突然解散を宣言。Uインターはキングダムへと受け継がれて行った。
[編集] 所属していた選手
- 高田延彦
- 山崎一夫
- 中野龍雄(現:中野巽耀)
- 安生洋二
- 宮戸優光
- 田村潔司
- 垣原賢人
- 金原弘光
- 高山善廣
- 長井満也
- 佐野友飛(現:佐野巧真)
- 桜庭和志
- 山本健一(現:山本喧一)
- 上山龍紀
- 松井駿介(現:松井大二郎)
- 大江慎(スタンディング・バウト)
- 菊田早苗(練習生)
- ボーウィー・チョーワイクン(スタンディング・バウト)
[編集] 主な参戦外人選手
- スーパー・ベイダー
- ゲーリー・オブライト
- ダン・スバーン
- アイアン・シーク
- バッドニュース・アレン
- マーク・フレミング
[編集] 主なタイトル
- プロレスリング世界ヘビー級王座