富川春美
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
富川 春美(とみかわ はるみ、1968年9月26日 - )は、日本の元アイドル。
千葉県出身。
目次 |
[編集] 略歴
- 1985年4月5日に『夕やけニャンニャン』の「ザ・スカウト アイドルを探せ!」に12番の河合その子、13番の内海和子と共に合格し、おニャン子クラブの会員番号14番となる。
- 番組初回から最終回まで在籍(※)した唯一のメンバーであり、片岡鶴太郎命名の「お富さん」の愛称で親しまれた。(※ 厳密には第一週は在籍でなく出演。また後述の「5ヶ月の空白」があり、実質的な最長出演者は城之内早苗である。)
- 個性派揃いの初期メンバーの中では控えめな存在であったが、モデルの様なルックスや八重歯で根強い人気を博した。
- 中期の頃になると、曲のフロントボーカルを務め、初期メンバーのほとんどが卒業した後にはメンバー全員を引っ張っていった。また、早い段階からソロデビューが決まっていたようだが、学校の反対などがあったらしく結局実現はしなかった。
- おニャン子のメンバー横田睦美とは、1年違いの同月同日生まれ。(横田は1967年生まれ)
- メンバー内での人気も高く、38番の工藤静香に「私が男だったら惚れていた」とまで言わせていた。
- 1986年の1月より番組から姿を消し、その間、何のアナウンスもされなかったことから、「第二の週刊文春喫煙事件による降板か」と、ファンをやきもきさせた。しかし5ヶ月後、当日の日直(司会)の永田ルリ子が「今日から仲間が帰ってきました。お帰りなさい。」と紹介、「ただいま、戻りました。」と復帰を果たした。
- これは、当時の在籍校内で、おニャン子所属ということで目を付けられていじめを受けていたためであるとか、学校で禁止されていたサインをしたために謹慎処分を受けた、であるとか、成績降下に伴い、一時的に学業に専念した、と諸説あるが、いずれにせよ番組に出られない彼女をメンバーが優しく励ましていたということから、彼女にとってもおニャン子クラブは大事な存在になっていた。
- おニャン子クラブの解散後も芸能活動やモデルをしており、1988年の秋頃には女優への転進も予定されていた。
- 現在は、沖縄の一流リゾートホテルに就職しマリンスポーツのインストラクターをしている。その後結婚し、一児の母となっている。また、チャームポイントであった八重歯は本人が綺麗な歯並びに憧れていたらしく今は矯正しているようだ。
[編集] エピソード
- メンバー内では内海和子と仲が良く、姉のように慕っていた。
- 肩幅が広いことから、メンバー内で「ハンガー」と呼ばれていた。「ツッチーホラーショー」のクイズで、永田ルリ子が何の脈絡も無く「ハンガー」とフリップに記し、その際富川の方にチラっと目線を送ったことは、コアなファンの中では「ハンガー・チラ事件」として有名である。
- 現役時代は、回転寿司巡りが好きだったらしい。
[編集] 音楽
[編集] フロントボーカル曲
[編集] シングル曲
[編集] アルバム曲
- 恋愛御見舞申し上げます
- 避暑地の森の天使たち
- ハートに募金を
- シンデレラのシューズ
- 白いコスモスの頃
- 間に合うかもしれない
※ 数字は会員ナンバー、BはB組、←はB組からの昇格、ライン下はユニット
1 奥田美香|2 榎田道子|3 吉野佳代子|4 新田恵利|5 中島美春|6 樹原亜紀|7 友田麻美子|8 国生さゆり|9 名越美香|10 佐藤真由美|11 福永恵規|12 河合その子|13 内海和子|14 富川春美|15 立見里歌|16 高井麻巳子|17 城之内早苗|18 永田ルリ子|19 岩井由紀子|20 寺本容子|21 五味岡たまき|22 白石麻子|23 林香織|24 三田文代|25 吉沢秋絵|26 赤坂芳恵|27 松本亜紀|28 横田睦美|29 渡辺美奈代|30 三上千晶|31 矢島裕子|32 山本スーザン久美子|33 布川智子|34 弓岡真美|35 岡本貴子|36 渡辺満里奈|37 大貫かおり|38 工藤静香|39 高畠真紀|40 生稲晃子|41 貝瀬典子|42 斉藤満喜子|43 守屋寿恵|44 高田尚子|45 吉田裕美子|46 中島早苗|47 山森由里子|48 我妻佳代|49←B1 吉見美津子|50←B2 杉浦美雪|51←B3 宮野久美子|52 鈴木和佳子|B4 冨永浩子|B5 山崎真由美