おニャン子クラブ
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おニャン子クラブ(おニャンこクラブ)は、1985年、フジテレビのテレビ番組『夕やけニャンニャン』から誕生した、女性アイドルグループである。
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[編集] 概要
フジテレビの番組「夕やけニャンニャン」から生まれた女性グループで、デビューした1985年から解散までの1987年の2年間、男子中高生を相手に人気を博した。
何処にでも居そうな素人レベルの女子高校生を中心に多数集めたグループは、それまでのアイドルとは異なる魅力を見せ、当時の中高生男子の間に爆発的な人気をもたらした(この手法は当時女子大生を中心に活動していた『オールナイターズ』を女子高校生版にしたもの)。その人気は当時の女子高校生ブームの中核ともなった。
敢えて唄の上手い子や、ダンスの上手い子、美少女を加入させない、クラスに居る普通の女の子レベルでメンバーを構成させ、番組よりも学業を優先させるなど、その素人らしさと親近感が放課後の女子校感覚、部活動感覚をイメージさせ受けたとも言われる。
メンバーを続々とソロデビューさせたり、毎週開催される番組内のオーディションなどにより継続的にメンバーを追加したりするなど、独自の展開がアイドルの新たな売り方を示した。ソロメンバーだけでなく、グループ内ユニットも輩出し、一時は毎週のようにオリコンチャートを独占した(1986年のシングル1位獲得46曲中、おニャン子クラブ関係が30曲。52週中の36週)。その独自の素人を売りにした展開は、後年の『乙女塾』や『チェキッ娘』、『AKB48』の他、番組企画物グループという新しいジャンルを確立した事により、『桜っ子クラブ』、『うらりんギャル』、『てん・むす』、『BRAN-KO』、『ミニスカポリス』、『ワンギャル』、『恋のから騒ぎ』、『おはガール』、『オビガールG』等類似グループを発展させ、これらの番組企画の素人物アイドルグループに大きな影響を与えた。
また、「会員番号制」という独特の要素を取り入れたアイディアは『モモコクラブ』の「桃組出席番号」をそのまま取り入れたとも言われる。1980年代のバラエティ番組で好感度を上げていく手法は『わらべ』と共通したものが有った(夕やけニャンニャンの『ニャンニャン』はわらべの某事件から引用したと言われている)。
1987年9月20日代々木第一体育館におけるコンサートにて解散。解散後も、それぞれの芸能界活動を続けるメンバーが多い。2002年、初期メンバーのうち賛同者のみ14名により、一時的に再結成し、シングル「ショーミキゲン/同級生」をリリースしたり、イベント・テレビ出演なども果たした。
[編集] 音楽
[編集] シングル
- セーラー服を脱がさないで / 早すぎる世代(1985年7月5日)
- フロントはNo.4新田恵利、No.5中島美春、NO.11福永恵規、No.13内海和子。B面のフロントもA面と同じ。オリコン最高5位、登場数週17週、売上24.7万枚。
- およしになってねTEACHER / テディベアの頃-少女の香り-(1985年10月21日)
- フロントはセーラー服を脱がさないで同様。B面は新田恵利+中島美春、福永恵規、内海和子。オリコン最高2位、登場数週15週、売上18.0万枚。
- じゃあね / アレレレ(1986年2月21日)
- フロントはNo.5中島美春。B面はおニャン子全員で歌っている。オリコン最高1位、登場数週9週、売上28.1万枚
- なお、数少ない明るい卒業を題材とした歌のひとつである。ただし、メンバー脱退や解散時にも歌われ、その際はおニャン子メンバーは泣きながら歌っていた。
- おっとCHIKAN! / 思い出美人(1986年4月21日)
- フロントはNo.11福永恵規、No.13内海和子、No.17城之内早苗、No.18永田ルリ子、No.28横田睦美。ソロパートがあるのは福永と永田。福永のパートを横田がソロをとることもあるが、福永が不在のときは内海がとっている。(お正月の特番では福永の不在のため内海が歌っていた。)B面は内海和子が歌っている。オリコン最高1位、登場数週8週、売上20.6万枚
- お先に失礼 / プリントの夏(1986年7月21日)
- 東宝映画「おニャン子 ザ・ムービー 危機イッパツ!」テーマソング
- フロントはNo.14富川春美、No.19岩井由紀子、No.33布川智子、NO.36渡辺満里奈。B面は内海和子が歌っている。オリコン最高1位、登場数週9週、売上16.0万枚。
- 恋はくえすちょん / あんみつ大作戦(1986年11月1日)
- NO MORE 恋愛ごっこ / あなただけおやすみなさい(1987年1月21日)
- フロントはNo.14富川春美、No.18永田ルリ子、No.19岩井由紀子、No.22白石麻子。B面はおニャン子全員で歌っている。オリコン最高1位、登場数週6週、売上11.8万枚
- かたつむりサンバ / めしべとおしべ(1987年5月21日)
- フロントはNo.14富川春美、No.38工藤静香、No.49吉見美津子、No.50杉浦美雪。B面のフロントはNo.18永田ルリ子、No.22白石麻子、No.41貝瀬典子、No.48我妻佳代。B面が夕ニャンで歌われるのはデビュー曲以来のこと。この頃には卒業メンバーが増えた為在校生の持ち歌だけでは間がもたなかった事が原因の一つと思われる。オリコン最高1位、登場数週5週、売上7.2万枚
- ウエディングドレス / 私をよろしく(1987年8月21日)
- フロントはNo.14富川春美、No.18永田ルリ子、No.22白石麻子、No.28横田睦美、No.33布川智子。B面のフロントはA面と同じ。オリコン最高2位、登場数週7週、売上9.0万枚
- ショーミキゲン / 同級生(2002年11月20日)
- 再結成記念シングル
- フロントはNo.4新田恵利、No.8国生さゆり、No.13内海和子、No.17城之内早苗、No.19岩井由紀子、No.29渡辺美奈代。B面(CDなので2曲目だが)のフロントはA面と同じ。オリコン最高48位、登場数週5週
[編集] アルバム
- KICK OFF(1985年9月21日)
- 収録曲: いじわるね Darlin'/真っ赤な自転車/シーッ!愛はお静かに・・・/セーラー服を脱がさないで/夏のクリスマス/愛の倫理社会/早すぎる世代/FENを聴かせて/LIKE A CHERRY BOY/放課後に落ち込んだ少女
- 夢カタログ(1986年3月10日)
- 収録曲: およしになってね TEACHER/星座占いで瞳を閉じて/シーサイド・セッション/好きになってもくれない/LINDA/アレレレ/恋愛御見舞申し上げます/アンブレラ・エンジェル/窓から見てる P.T.A./夢の花束
- PANIC THE WORLD(1986年7月10日)
- NON STOP おニャン子(1986年12月21日)
- SIDE LINE(1987年2月21日)
- 家宝(1987年3月5日)
- 収録曲(1枚目): NO MORE恋愛ごっこ/恋はくえすちょん/深呼吸して/メロディ/シンデレラたちへの伝言/バレンタイン・キッス/夏を待てない/恋のカレッジ・リング/青いスタシィオン/恋のロープをほどかないで/内緒で浪漫映画/冬のオペラグラス/じゃあね/夏休みは終わらない/真赤な自転車
- 収録曲(2枚目): セーラー服を脱がさないで/およしになってねTEACHER/うしろゆびさされ組/渚の『・・・・・』/季節はずれの恋/蒼いメモリーズ/シーサイド・セッション/自分でゆーのもなんですけれど/風のinvitation/ハートのignition/おニャン子のあぶな~い捕物帳/あじさい橋/瞳に約束/おっとCHIKAN!/お先に失礼
- CDのみのベスト盤、ソロ楽曲も多数収録
- おニャン子Sailing夢工場Live(1987年6月3日)
- 収録曲(LP盤): 新・新会員番号の唄/深呼吸して/20歳/ハートに募金を/星のバレリーナ/天使のボディーガード/時の河を越えて/シンデレラたちへの伝言/TOO ADLUT/バレンタイン・キッス/うしろゆびさされ組/かしこ/じゃあね
- 収録曲(CD盤): 本ベル~オーバーチュア~STAND UP/新・新会員番号の唄/恋はくえすちょん/ホワイトラビットからのメッセージ/雨のメリーゴーランド/あじさい橋/星のバレリーナ/シンデレラたちへの伝言/TOO ADLUT/瞳に約束/夏を待てない/バレンタイン・キッス/あの夏のバイク/渚の『・・・・・』/かしこ/あなただけおやすみなさい/瞳の扉/じゃあね
- 収録曲(CT盤): オーバーチュア~STAND UP/お先に失礼/新・新会員番号の唄/ホワイトラビットからのメッセ-ジ/マリーナの夏/深呼吸して/雨のメリーゴーランド/星のバレリーナ/約束/TOO ADLUT/夏を待てない/かしこ/瞳の扉/卒業生あいさつ/じゃあね~エンディング
- LP、CD、CTで収録曲が異なるライブ盤
- CDには、岩井由紀子と渡辺美奈代、CTには渡辺満里奈と生稲晃子のおしゃべりも収録
- Circle(1987年8月5日)
- 収録曲(1枚目): サークル(opening)/プリズム/碧いスケッチ/恋のミスマッチ//圧巻!FLASH UP/ONE WAY ROAD/寒い8月/こんな空の下で/季節のノック/次のページを開いて/風に抱かれて/ちょっとほの気のタイミング/雲の上はいつも/サークル(ending)
- 収録曲(2枚目): ONE NIGHT ONLY/シンデレラのシューズ/真赤なミニスカート/黄昏にキスをしないで/雨のあやとり/割ってしまった卵/風の物語/白いコスモスの頃/未完成なジグソーパズル/赤道探検隊/間に合うかもしれない/STAGE DOOR
- 2枚組
- 1枚目は卒業生を含むソロとユニットのオリジナル、2枚目は現役メンバーによるオリジナル
- おニャン子クラブファイナル・カセットブック「じゃあね」(1987年10月27日)
- 書籍としてリリース
- メンバーの解散直後のインタビューを収録
- ミニ写真集付き
- おニャン子クラブベスト(1987年12月5日)
- 収録曲: 恋はくえすちょん/かたつむりサンバ/おっとCHIKAN!/お先に失礼/雨のメリーゴーランド/ハートに募金を/間に合うかもしれない/真赤な自転車/早口言葉でサヨナラを/およしになってねTEACHER/NO MORE 恋愛ごっこ/ウェディング ドレス/夏休みは終わらない/じゃあね/瞳の扉/セーラー服を脱がさないで
- 解散後にリリース
- アルバム未収録シングルが多数収録された
- ベストセレクション (1996年)
- 2枚組
- ソロ楽曲も収録
- ULTRA NYANKO OMOTE SPECIAL (1997年3月19日)
- ULTRA NYANKO URA SPECIAL (1997年3月19日)
- 解散10周年記念ベスト盤
- MY これ!クション おニャン子クラブBEST (2001年12月5日)
- デジタルリマスター盤
- おニャン子クラブ大全集(2005年7月6日)
- 上・下2枚同時発売
- 全楽曲とライブ盤、シングルカセットのおしゃべりを復刻収録
- 発売元が異なるおニャン子Sailing夢工場LiveのCD盤、CT盤音源は未収録
- 30-35(3)おニャン子クラブ特集
- 未発表曲「真夏のアルバイト」(茂木淳一&新田恵利)収録
- デビューアルバムに針を落として・・・ おニャン子クラブ編(2006年9月20日)
- 本体、ソロ、グループのデビューアルバムの1曲目を集めたオムニバス。
- 収録曲: いじわるねDarlin'/午後のパドドゥ/ピンクのリボン/SE・KI・LA・LA/空色の微熱/“I Love You!"を翼にして/私は里歌ちゃん(Re-mix Version)/SWEET REVOLUTION/ピンクのパラダイス/悲しみの粉雪/くちびるの願い/ホリディ・ビジター/手のひらの翼/天使のボディーガード/あなたを知りたい/哀しみのエトランゼ/アイツはハリケーン/おとといおいで
[編集] 映画
活動期間中のみの出演作品
- おニャン子ザ・ムービー 危機イッパツ! (おニャン子クラブ)
- コミック雑誌なんかいらない! (おニャン子クラブ)
- 恋する女たち (高井麻巳子)
- いとしのエリー (国生さゆり)
- ちょうちん (新田恵利)
[編集] メンバー一覧
詳細は各人の項を参照のこと。
- 奥田美香 - 1985年4月25日、 週刊文春喫煙事件で降板(番組スタート1ヵ月経過持たず)。その後、雑誌でヌードに。
- 榎田道子 - 1985-4-25 週刊文春喫煙事件で降板。
- 吉野佳代子 - 1985-4-25 週刊文春喫煙事件で降板
- 新田恵利 - 第二回卒業生。フジテレビ社員と結婚。一時期芸能活動を休止していたが現在は復帰。
- 中島美春 - 第一回卒業生。とんねるずのマネージャー、ボブと結婚。
- 樹原亜紀 - 第五回卒業生。ニャンギラスの一員。
- 友田麻美子 - 1985-4-25 週刊文春喫煙事件で降板。
- 国生さゆり - 第五回卒業生。現在も芸能活動中。結婚→離婚。
- 名越美香 - 第二回卒業生。ニャンギラスの一員。
- 佐藤真由美 - 1985-4-25 週刊文春喫煙事件で降板。
- 福永恵規 - 第二回卒業生。全部で4枚のシングルを出した。引退後結婚。
- 河合その子 - 第一回卒業生。引退後後藤次利と結婚。
- 内海和子 - 第五回卒業生。1974年に子役でデビュー。解散後、ヌード写真集を発表。
- 富川春美 - 解散時メンバー中会員番号が最少(=在籍期間最長)。
- 立見里歌 - 1991年結婚。その後離婚。現在は雑誌編集者として活動中。
- 高井麻巳子 - 1988年、秋元康と結婚、引退。高井ファンに、大ショックを与えた。
- 城之内早苗 - 解散時メンバー。現在は演歌歌手として活動中。2004年に番組プロデューサーと結婚。
- 永田ルリ子 - 解散時メンバー。DVDの映像否定問題。
- 岩井由紀子 - 解散時メンバー。一時期愛称の「ゆうゆ」で活動。1998年に結婚、引退。
- 寺本容子 - 1985年9月脱退。
- 五味岡たまき - 1985年9月脱退。1988年、「チープにならないで」でソロデビューの予定が突如中止に。
- 白石麻子 - 解散時メンバー。ニャンギラスの一員。卒業後はジャガー・ジャパンに勤務。4児の母。
- 林香織 - 大阪駐在員。
- 三田文代 - 広島駐在員。元モモコクラブ(桃組No.611)。ニューヨークにて演劇の勉強中。
- 吉沢秋絵 - 合格後、すぐにソロデビュー。「スケバン刑事 (実写版)」で役者デビュー。1992年引退。
- 赤坂芳恵 - 在籍期間一週間。元モモコクラブ(桃組No.2142)
- 松本亜紀 - 合格したのみで活動はなし。元モモコクラブ(桃組No.1861)
- 横田睦美 - 解散時メンバー。ヤンパライメージガールとして、渡辺美奈代と共に合格・加入。現在はヨーガを教えている。
- 渡辺美奈代 - 解散時メンバー。現在も芸能活動中。2児の母。
- 三上千晶 - トライアングル・ブルーのオーディションも合格。
- 矢島裕子 - ヤンパライメージガールコンテストに合格。
- 山本スーザン久美子 - 第二回卒業生。おニャン子唯一のハーフ。
- 布川智子 - 解散時メンバー。元シブがき隊の布川敏和の妹。
- 弓岡真美 - 第三回卒業生。中学を卒業して1986年3月14日から活動。
- 岡本貴子 - 第三回卒業生。弓岡同様3月14日から活動。
- 渡辺満里奈 - 解散時メンバー。現在も芸能活動中。2005年、お笑いトリオ・ネプチューンの名倉潤と結婚。
- 大貫かおり - 合格後番組に一日だけ出演。元モモコクラブ(桃組No.1809)解散後ヌードを披露。その後SMの女王に。
- 工藤静香 - 解散時メンバー。元モモコクラブ(桃組No.480)。現在も歌手として活動中。SMAPの木村拓哉とできちゃった結婚。
- 高畠真紀 - 第三回卒業生。新・会員番号の唄に参加。
- 生稲晃子 - 解散時メンバー。解散後にソロデビュー。その後も芸能活動を行っていたが結婚、出産を気に活動を停止した。
- 貝瀬典子 - ミス・セブンティーングランプリ。解散時メンバー。うしろ髪に入る予定だった。
- 斉藤満喜子 - ミス・セブンティーン準グランプリ。解散後にソロデビュー。1998年結婚、引退。
- 守屋寿恵 - ミス・セブンティーン準グランプリ。第四回卒業生。ソロデビューの予定もあった。
- 高田尚子 - ミス・セブンティーン。第四回卒業生。
- 吉田裕美子 - 第四回卒業生。ソロデビューの予定もあった。
- 中島早苗 - 第四回卒業生。元モモコクラブ(桃組No.1319)。子役出身で『宇宙刑事ギャバン』などの作品にも出演。
- 山森由里子 - 解散時メンバー。二度目で合格を果たす。
- 我妻佳代 - 解散後にソロデビュー。現在も芸能活動中。芹沢直美の妹。結婚→離婚。
- 吉見美津子 - B組1番。元モモコクラブ(桃組No.1956)。解散後ヌードを披露。
- 杉浦美雪 - B組2番。解散後は、レースクイーンに。現在は、OL兼モデル(芸名は杉浦未幸)。
- 宮野久美子 - B組3番。解散後は「Kiss」と言うグループに在籍。現在も芸能活動中
- 鈴木和佳子 - 最後の合格メンバー。
- B組4番 冨永浩子 - ミス・セブンティーン。第四回卒業生。
- B組5番 山崎真由美 - 解散後にソロデビュー。第四回卒業生。卒業後は、グラビアを中心に活躍。一時期、イエローキャブに所属。ヌードも披露。現在、主婦兼ハワイアンキルトの講師として、地元で暮らす。
- 研修生 ヨリンダ・ヤン - おニャン子研修生。唯一の外国人。
1~11番が1985年4月1日からの初期メンバー。4月中に16番までが加入。 1,2,3,7,10,20,21,26,27,30,31,37番は正式卒業せず脱退。 そのうち20番は学校を退学したため、番組規定(学校からの許可と学校との両立が活動の絶対条件)に反するとして脱退、26,27,37番は学校の許可なしで合格したために脱退させられ、学校からも永久追放処分(自主退学が認められない退学処分)になった。
[編集] 関連ユニット
- ニャンギラス(樹原、名越、立見、白石)
- 夕ニャンのコーナーから生まれたユニット。
- うしろゆびさされ組(高井、岩井)
- 名前が『にんじん組』になる予定だった。キウイ組の説もあり。
- うしろ髪ひかれ隊(工藤、生稲、斉藤)
- おニャン子クラブ解散コンサート後も活動し、ヒットを連発。しかし、工藤静香のソロ充実により、ファーストコンサート後、自然消滅した。
- おニャン子クラブB組(吉見、杉浦、宮野)
- 当初5人でのデビューが告知されていたが、冨永と山崎が卒業。その後吉見、杉浦、宮野の3人によるデビューが再計画され、レコード店頭告知として「いつだってイレギュラー」(1987年6月15日発売予定)というタイトルも公表されていたが、おニャン子の解散により中止になった。
[編集] コンサート
- ファーストコンサートKick off
- 全国縦断コンサートあぶな~い課外授業
- 大阪公演で林、三田が卒業、東京公演で中島、河合が卒業
- 曲順: 1.セーラー服を脱がさないで 2.会員番号の唄 3.LIKE A CHERRY BOY 4.早すぎる世代 5. 風のInvitation 6. シーサイド・セッション 7.うしろゆびさされ組 8.女学生の決意 9.バナナの涙 10.なぜ?の嵐 11.季節はずれの恋 12.私は里歌ちゃん 13.恋愛御見舞申し上げます 14.バレンタイン・キッス 15.恋はRing Ring Ring 16.冬のオペラグラス 17.恋のロープをほどかないで 18.星座占いで瞳を閉じて 19.じゃあね 20.涙の茉莉花LOVE 21.落葉のクレッシェンド 22.青いスタスィオン 23.恋のチャプター AtoZ 24.およしになってね TEACHER 25.真赤な自転車 26.夢の花束 27.じゃあね 28.セーラー服を脱がさないで
- 札幌厚生年金会館(1986年3月16日)、広島サンプラザホール(3月21日)、名古屋市国際展示場(3月23日)、仙台市体育館(3月25日)、大阪城ホール(3月28日、29日)、日本武道館(3月31日、4月1日)
- ファイナル公演以外は、12.好きになってもくれない 17.ロマンスは偶然のしわざ が歌われた。
- おニャン子PANIC全国縦断コンサート
- 新田、福永、名越、吉沢、スーザンが卒業、ニャンギラスが解散
- 2ヶ月以上に渡る長期間のツアーのため、初回公演と最終公演では曲目、曲順が大幅に異なる。
- スタジアムコンサート・全国ツアー:
- 曲順: 1.乙女心の自由型 2.新会員番号の唄 3.セーラー服を脱がさないで 4.おっとCHIKAN! 5.夏のクリスマス 6.瞳に約束 7.少しおませな恋 8.私は里歌ちゃん 9.自分でゆーのもなんですけれど 10.季節はずれの恋 11.17才の詩 12.おニャン子のあぶなーい捕物帖 13.あじさい橋 14.ウィンクで殺して 15.避暑地の森の天使たち 16.風のインビテーション 17.キスはマジック 18.プリントの夏 19.猫舌ごころも恋のうち 20.SE・KI・LA・LA 21.シンデレラたちへの伝言 22.象さんのすきゃんてぃ 23.夏を待てない 24.砂まじりのトラベリンバス 25.バレンタイン・キッス 26.青いスタスィオン 27.再会のラビリンス 28.恋のロープをほどかないで 29.テディベアの頃 30.不思議な手品のように 31.お先に失礼 32.夏休みは終わらない 33.瞳の扉 34. 冬のオペラグラス 35. じゃあね 36. およしになってねTEACHER 37. 真赤な自転車
- ツアー途中で、11.鏡の中の私、20.渚の「・・・・・」、24.ノーブルレッドの瞬間に差し替えられた。
- 河合その子は、横浜スタジアム、西宮球場公演のみ歌ゲストとして参加。
- 球場コンサート後、海外出張を挟んで、全国ツアーがスタート。
- 横浜スタジアム(1986年7月19日)、西宮球場(7月21日、22日)、広島サンプラザ(8月15日)、愛知県体育館(8月16日)、静岡産業館(8月17日)、福岡国際センター(8月19日)、新潟県民会館(8月21日)、福井フェニックス(8月24日)、長野県県民文化会館(8月26日)、仙台市体育館(8月28日)、札幌真駒内競技場(8月30日)
- 卒業コンサート:
- 曲順: 1.乙女心の自由型 2.おっとCHIKAN! 3.新・会員番号の唄 4.お先に失礼 5.瞳に約束 6.雪の帰り道 7.おニャン子のあぶな~い捕物帖 8.あじさい橋 9.ウインクで殺して 10.避暑地の森の天使たち 11.深呼吸して 12.シンデレラたちへの伝言 13.メロディ 14.季節はずれの恋 15.鏡の中の私 16.私は里歌ちゃん 17.自分でゆーのもなんですけれど 18.キスはマジック 19.風のInvitaion 20.ハートのIgnition 21.うしろゆびさされ組 22.象さんのすきゃんてぃ 23.渚の「・・・・・」 24.バレンタイン・キッス 25.夏を待てない 26.ノーブルレッドの瞬間 27.冬のオペラグラス 28.真夏の滑走路 29.不思議な手品のように 30.およしになってねTEACHER 31.夏休みは終わらない 32.真っ赤な自転車 33.瞳の扉 34.じゃあね 35.セーラー服を脱がさないで
- 日本武道館(1986年9月26日)
- おニャン子Sailing夢工場Live
- 樹原、国生、内海、立見、高井が卒業、うしろゆびが解散
- 曲順: 1.本ベル~オーバーチュア~STAND UP 2.お先に失礼 3.新・新会員番号の唄 4.恋はくえすちょん 5.NO MORE 恋愛ごっこ 6.ホワイトラビットからのメッセージ 7.マリーナの夏 8.深呼吸して 9.蒼いメモリーズ 10.20歳 11.雨のメリーゴーランド 12.ハートに募金を 13.あじさい橋 14.流氷の手紙 15.星のバレリーナ 16.天使のボディーガード 17.時の河を越えて 18.約束 19.かげろう 20.シンデレラたちへの伝言 21.あんまりじゃない?~恋なし子 22.私は里歌ちゃん 23.TOO ADLUT 24.PINKのCHAO 25.瞳に約束 26.夏を待てない 27.星屑の狙撃手 28.バレンタイン・キッス 29.あの夏のバイク 30.うしろゆびさされ組 31.技あり 32.渚の『・・・・・』 33.かしこ 34.あなただけおやすみなさい 35.瞳の扉 36.じゃあね
- 大阪城ホール(1987年3月28日、29日)、福岡国際センター(3月31日)、愛知県体育館(4月2日)、代々木第一体育館(4月4日、5日)
- 大阪公演では、35.春一番が吹く頃に が歌われた。
- おニャン子全国縦断ファイナルコンサート
- 解散コンサート。全員が卒業
- 2ヶ月近くに渡る長期間ツアーのため、全国ツアーと最終公演の曲目、曲順は大幅に異なる。
- 地方公演には、卒業生が1~4名ずつ歌ゲストとして参加した。解散コンサートには、卒業生全員(ただしソロ組+ニャンギラス+中島のみ)が参加
- 全国ツアー:
- 曲順 1.ONE NIGHT ONLY 2.かたつむりサンバ 3.メドレー(恋はくえすちょん-おっと CHIKAN!-避暑地の森の天使たち-お先に失礼-ハートに募金を-LIKE A CHERRY BOY-およしになってね TEACHER-NO MORE 恋愛ごっこ) 4.天使のボディーガード 5.-3℃ 6.未完成なジグソーパズル 7.シンデレラのシューズ 8.雨のあやとり 9.マリーナの夏 10.深呼吸して 11.夏休みだけのサイドシート 12.ゲストAの歌1曲目 13.ゲストAの歌2曲目 14.間に合うかもしれない 15.雨のメリーゴーランド 16.あじさい橋 17.寒い8月 18.ゲストBの歌1曲目 19.ゲストBの歌2曲目 20.風の物語 21.赤道探検隊 22.瞳に約束 23.TOO ADULT 24.アマリリス 25.時の河を越えて 26.禁断のテレパシー 27.あなたを知りたい 28.割ってしまった卵 29.真赤なミニスカート 30.ウェディングドレス 31.乙女心の自由型 32.STAGE DOOR 34.夏休みは終わらない 35.瞳の扉 36.セーラー服を脱がさないで
- 札幌厚生年金(1987年8月1日、新田・吉沢)、広島郵便貯金(8月3日、新田・中島)、福岡サンパレス(8月4日、福永・中島)、名古屋公会堂(8月6日、福永・吉沢)、福井フェニックス(8月7日、高井)、名古屋公会堂(8月8日、河合)、郡山市民文化会館(8月9日、高井)、新潟県民会館(8月15日、国生・内海)、長野県民会館(8月16日、内海)、大阪フェスティバルホール(8月18日、福永・河合、19日、名越・樹原・河合、高井、20日、新田・国生)
- 札幌厚生年金(1987年8月1日)のゲストAは吉沢、12.なぜ?の嵐と13.雨の花火、ゲストBは新田、18.冬のオペラグラス19.とサーカス・ロマンスを歌唱。
- 解散コンサート:
- 曲順 1.オープニング(Circle)~ONE NIGHT ONLY 2.かたつむりサンバ 3.メドレー(恋はくえすちょん-おっと CHIKAN!-避暑地の森の天使たち-お先に失礼-ハートに募金を-LIKE A CHERRY BOY-およしになってね TEACHER-NO MORE 恋愛ごっこ) 4.天使のボディーガード 5.-3℃ 6.夏休みだけのサイドシート 7.深呼吸して 8.あじさい橋 9.金沢の雨 10.間に合うかもしれない 11.雨のメリーゴーランド 12.蒼いメモリーズ 13.シンデレラたちへの伝言 14.私は里歌ちゃん 15.風のInvitation 16.バレンタイン・キッス 17.なぜ?の嵐 18.うしろゆびさされ組 19.渚の『・・・・・』 20.冬のオペラグラス 21.星座占いで瞳を閉じて 22.涙の茉莉花LOVE 23.未完成なジグソーパズル 24.シンデレラのシューズ 25.雨のあやとり 26. 瞳に約束 27.アマリリス 28.禁断のテレパシー 29.あなたを知りたい 30.時の河を越えて 31.割ってしまった卵 32.真赤なミニスカート 33.ウェディングドレス 34.乙女心の自由型 35.夏休みは終わらない 36.瞳の扉 37.じゃあね 38.STAGE DOOR 39.会員番号の唄 40.真赤な自転車 41.セーラー服を脱がさないで
- 代々木第一体育館(1987年9月19日、20日)
[編集] 映像作品
- 課外授業(1985年11月16日)
- ファーストコンサートKick Offのビデオ作品
- 臨海学校(1986年2月21日)
- 1985年12月末~1986年1月上旬にかけて撮影されたハワイ観光ビデオ
- 全国縦断コンサート あぶな~い課外授業(1986年5月21日)
- 初のコンサートツアーのリハーサル、バックステージ、ドキュメンタリー映像が中心
- 海外出張(1986年9月21日)
- 1986年8月上旬に撮影されたアメリカ観光ビデオ
- おニャン子 ザ・ムービー 危機イッパツ!(1986年11月15日)
- 初主演映画のビデオ化、後にDVD版も発売
- 卒業記念SPRINGコンサート Sailing 夢工場(1987年5月15日)
- 卒業コンサートのビデオ作品、他にライブ盤LP、CD、CTも発売(全て収録曲が異なる)
- おニャン子クラブ解散記念 全国縦断ファイナルコンサート(1987年10月31日)
- 解散コンサートの様子をノーカットで収録
- 孫の代までおニャン子クラブ(1988年1月21日)
- 夕やけニャンニャンとおニャン子クラブの歴史を紹介
- おニャン子クラブ「最終盤」(2002年4月17日)
- 上記の「おニャン子ザ・ムービー~」と「孫の代まで~」を除く全映像作品をDVDボックス化
- 「孫の代まで~」を再編集した特典ディスク付き。
- 未公開映像 ザ・バックステージ(2002年12月4日)
- 1986年春の全国縦断コンサート あぶな~い課外授業のリハーサル、バックステージ、コンサート映像に再結成時の特典映像を加えたDVDボックス。
- おニャン子PANIC卒業記念コンサート(2003年10月16日)
- おニャン子PANICツアー卒業公演を初映像化。ただし、テレビ放送映像を再編集(映像拒否メンバーをカットして)したもの。
- 特典映像として、「夕やけニャンニャン」より第2回卒業式を再編集して収録。
- 夕やけニャンニャン おニャン子白書
- おニャン子クラブin月曜ドラマランド
[編集] 再結成
2002年再結成時のメンバー(レコーディング参加メンバー)
同年のFNS歌謡祭に出演した際には上記のメンバーに加え(白石除く)以下のメンバーも参加し話題になった。
また、過去にも何度か番組の企画等でおニャン子クラブの何名かのメンバーが集まった事がある。
- 1994年花王ファミリースペシャル「ザ・同窓会」参加メンバー
- 1996年フジテレビの日「復活夕やけニャンニャン」参加メンバー
- 1997年「ザッツお台場エンターテイメント!」参加メンバー
- 新田、中島(美)、富川、山本、工藤
- 中島(美)、内海、富川、立見、横田、山本、布川、岡本、貝瀬、我妻
- 2005年「おニャン子クラブin月曜ドラマランドBox2発売イベント」参加メンバー
- 新田、立見、城之内、内海、(他、福永がイベントのために手紙を書いている)
[編集] 評価
- 1980年代後半を代表するアイドルグループであり、現在も芸能界で活躍しているような、多士済々の逸材を輩出したことは事実として評価されている。
- 更に、アイドルを身近なものと(感じられるように)したこと、誰にでもアイドルになるチャンスがある、という「新たなアイドル像」を確立した役割も大きい。
- その一方で、番組進行中から既に、次のような事態が芸能文化評論などの分野では懸念されていた。
- いわゆるアイドルビジネスの表も裏も見せ過ぎてしまい、幻滅を招いている。
- 「アイドル=偶像=雲の上の存在」というイメージを地上に引きずり下ろしてしまい、アイドル性を浪費、疲弊させている。
- 素人性を強調する手法により、それまでのアイドル像を壊し、新たなアイドル像を確立した事は確かにおニャン子の功績であるが、一方ではおニャン子の反動で従来型のアイドルタレントの販売戦略が悉く不発に終わる様になっており、「おニャン子後」の若手アイドルタレントの育成が極めて困難になる。
- 初期メンバーが年齢差のある主要な番組スタッフと結婚したため世の中が持っていた「身近なアイドル」に対する幻想を打ち砕いたと言う指摘もある
- そしてこれらのことから、解散の前後には、「今後10年(※)はアイドルらしいアイドルは出ないであろう」との論評がなされた。
- (※おニャン子の記憶が無いあるいは薄い、当時の幼少世代がアイドルビジネスのメインターゲットである中高生になるまで、の意)
- もちろん他の要因もあったわけであるが、1990年代にはいわゆる「アイドル冬の時代(「アイドル氷河期」ともいう)」に突入し、同年代半ばまでその状況は続き、これらの論評は的中することとなった。無論、その中でアイドル関連の市場も縮小を続けて行く事となる。
[編集] その他
[編集] 他局の歌番組との関係
おニャン子クラブおよびその構成員は(解散前もしくは卒業前・脱退前においては)、フジテレビ専属とされ、他局に出ることは原則としてなかった。歌謡曲系の歌番組や、1980年代前半的なアイドルの衰退などの要因は多々あるとされるが、これも一因とされる。例えば、ザ・ベストテン(TBS系列)には彼女らの楽曲が1986年7月31日~1987年4月2日には多数チャートインしたはずだが、彼女らは初期は出演していたが、その後減少した。司会者は、おニャン子クラブの欠席理由に関して、1986年10月2日までは、「定期試験中。」「コンサート中・レコーディング中。」等の理由を言っていたが、1986年10月9日以降は「各方面の調整がいまだ取れず今回は欠席。」という不可思議な欠席理由を言っていた(うしろ髪ひかれ隊に関しては、番組出演が決まっていたらしく、専用のセットまで組まれていたが、直前になり出演が取り止めになり、苦肉の策として、リハーサルで歌ったスタッフに歌わせている)。
これが久米宏の司会降板や、松田聖子の結婚による休業などとあいまって、かのお化け番組を衰退させた遠因とされる(この件に関しては、当時のプロデュサーが出した本では「おニャン子クラブの歌にランキングは付けられない。」と言う理由だと説明していたが、なぜか日本テレビ系列の『ザ・トップテン』には出演していたり、夕ニャン内でオリコンのコーナーを作り、おニャン子関係でランキングされるとそれを祝うと言う、矛盾した行動をとっていた為、当時のファンを困惑させている)。すでに、この時期には夕ニャンの視聴率がかなり下がっており(夕やけニャンニャン#番組をめぐる雑記「*番組の『最盛期』は~」も参照)、TBSの人気ドラマの再放送に視聴率が奪われていたことも要因としてある。紅白歌合戦にも出演候補として挙げられたが、こうした複雑な事情をNHK側にも敬遠される形で落選した。
[編集] 解散コンサート
1987年9月20日(日曜日)、国立代々木競技場第一体育館ではおニャン子クラブ解散コンサートが行われ、多くのファンが会場に集まった。その中にはチケットを手に入れることが出来なかったファンも数多くいた。そうしたファンはコンサート開演中に外に漏れる音を聞くしかなかった。
しかし、コンサートが終盤に差し掛かった時に事件は起きた。何人かのファンが「俺だって中に入る権利があるんだ!」と叫びながら警備員の制止を振り切って入口を突破したのである。また会場内でも多くのファンが誰彼かまうことなく肩を組みながら歌を熱唱し始め、ステージとファンが一体となった。この事は今でも多くの人に語り継がれ、伝説となっている。
[編集] 解散後
解散により元メンバーとなった者たちの大多数は、フジテレビの庇護からそのまま放り出される形で芸能界の激烈な生き残り競走に晒され、少なからぬ元メンバーが短期間の内に芸能界の華やかな場所から姿を消していった。既にソロ・デビュー等で独自に専属事務所に所属していたメンバーは、各々の芸能活動を展開・継続出来た。しかし、最後まで芸能事務所から勧誘の声が掛からなかったフジ専属メンバーは、番組スタッフにより芸能界から引退して「一般人の生活」へ戻る様に説得された。これは見方によっては芸能界の厳しさを知る者の親心であるが、違う面から見れば、後述のフォロー不足による弊害をテレビ局やスタッフが被らない為の対応策とも言えた。
フジテレビは『夕やけニャンニャン』終了後の事をほとんど何も考えていなかったと言ってもよく、事実上、テレビ局と番組の専属となっていた彼女たちに芸能タレントとして必要な本格的な演技技術などの習得をさせず、また番組終了後の仕事の確保などアフターフォローといえるものも、一部を除いてほとんど行われなかった。彼女たちが少なからず泡沫タレントに終わったのは、これらのツケが回ってきた結果ともいえる。また、このフジテレビの姿勢は、後年に至って当時ファンであった者たちから「彼女たちを使い捨てにした」として批判を受ける事ともなった。
もっとも、これにも色々考えや見方があって、「放課後のクラブ活動のノリ」的に番組を開始し、殊更「あえて、いずれ(ソロ・デビューなど)巣立っていくプロの芸能人に迄育成・指導をしなくても…」という番組サイドの考え。同様に、そこまでのレベルを求めていなかったメンバーが、当初は多かったと思われる。オーディションで合格したメンバーも、全員が本気でプロデビューしたかったのではなく、「番組に出てワイワイ楽しむ事」を目的とした感覚で活動していたメンバーもいたであろう。一方で「この番組をバネに、本格的にプロデビューしたい・させたい。」と、考えてメンバー入りした者もいたと思われる。(1986年4月以降、その傾向は既に事務所に属していたメンバー・番組サイド共に顕著となった感がある。)
おニャン子クラブでは最大のウリであった「素人くささ」も、ドラマや舞台などでは逆に壁になった。芸能界内部にも「元おニャン子に、まともな演技などできるはずがない。」という偏見が少なからず存在し、一時は「元おニャン子」というだけでドラマや舞台のオーディションから落されたケースもあったと言われている。実際、おニャン子メンバーがフジテレビ系列のドラマに出演していた初期のみならず、おニャン子解散後の出演ドラマにおいても、「台詞の棒読み」状態のメンバーが多かった。
芸能界から離れる時も、ワイドショーの芸能ニュース枠などで結婚引退を報じてもらえた者はまだいい方で、引退したものの過半は所属事務所との契約切れなどでフェードアウトし、結婚、転職などそれぞれの道を歩むことになった。もっとも、これは他のアイドルにも言えることで、元おニャン子特有の現象とはいえないが、おニャン子クラブの絶頂期の人気度の高さを考えた場合、そこから番組終了、解散を経て、それ以降の人気が凋落するまでの時間的な速さは、日本芸能史の中でも希有なものである(ただし、実質的な人気の凋落と、芸能事務所との契約切れまでの期間は必ずしも一致しない)。
その様な状況に至り、芸能界でどうにか仕事を続けようとした者でも、仕事の確保が難しくなった者に出版業界が目をつけて、ヌードグラビアの勧誘を行う様になった。絶頂期の人気は凄まじかっただけに、『元おニャン子が脱いだ!』というだけでもヌードグラビアとして十分な話題性が期待できた為である。
1988年、「PLAYBOY日本版10月号」で記念すべき(?)元おニャン子初のヌードを披露したのは奥田美香であった。他にもヌードやセミヌードとなった元メンバーも存在する。元メンバーの中でも芸能マスコミなどからのヌードの期待値が高かったのは渡辺美奈代で、一時はスポーツ新聞などで実現間近と報じられたが、妊娠したためヌード写真集の企画が取りやめになったとされる。
[編集] パチンコ
2005年秋、パチンコ台としてサンセイR&Dから「CRおニャン子クラブ」が登場。ザ・ベストテンのランキング発表のようなフラップを用いた演出が特徴である。視覚的には番組と同じなのはロゴとキャラクターの振り付けのみで、会員の実名は一切使われておらず、アニメ絵のキャラの顔も、特に会員に似せてはいない。キャラは全員学生服を着ているが、実際の番組では制服のまま出演することは許されなかった。
[編集] 関連項目・番組
[編集] 外部リンク
※ 数字は会員ナンバー、BはB組、←はB組からの昇格、ライン下はユニット
1 奥田美香|2 榎田道子|3 吉野佳代子|4 新田恵利|5 中島美春|6 樹原亜紀|7 友田麻美子|8 国生さゆり|9 名越美香|10 佐藤真由美|11 福永恵規|12 河合その子|13 内海和子|14 富川春美|15 立見里歌|16 高井麻巳子|17 城之内早苗|18 永田ルリ子|19 岩井由紀子|20 寺本容子|21 五味岡たまき|22 白石麻子|23 林香織|24 三田文代|25 吉沢秋絵|26 赤坂芳恵|27 松本亜紀|28 横田睦美|29 渡辺美奈代|30 三上千晶|31 矢島裕子|32 山本スーザン久美子|33 布川智子|34 弓岡真美|35 岡本貴子|36 渡辺満里奈|37 大貫かおり|38 工藤静香|39 高畠真紀|40 生稲晃子|41 貝瀬典子|42 斉藤満喜子|43 守屋寿恵|44 高田尚子|45 吉田裕美子|46 中島早苗|47 山森由里子|48 我妻佳代|49←B1 吉見美津子|50←B2 杉浦美雪|51←B3 宮野久美子|52 鈴木和佳子|B4 冨永浩子|B5 山崎真由美
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