寛政暦
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寛政暦(かんせいれき)とは、かつて日本で使われていた太陰太陽暦の暦法の和暦である。
寛政十年(1798年)に宝暦暦から改暦され、46年間使用された後、天保15年に改暦され、弘化元年1月1日(1844年2月18日)から天保暦が使用された。
宝暦暦が出来の悪い暦法であったことから、幕府は西洋天文学を取り入れた暦法に改暦をしようとし、高橋至時を幕府天文方に登用し、同門の間重富とともに改暦の準備に当たらせた。高橋至時らは先任の天文方と協力し、寛政九年(1797年)に暦法を完成させた。この暦法では、西洋天文学の書物の中国語訳である『暦象考成後編』を元に、月や太陽の運行に楕円軌道法や消長法を採用した。
弘化元年(1844年)渋川景佑らにより『寛政暦書』(35巻)が出版。図にティコ・ブラーエのものをいれるなどしている。
天保8年(1837年)の大小暦(大月(30日)、小月(29日))は、2月、4月、6月、9月、11月が大月であり、その覚え言葉が「西向く士」であった。 ちなみに文政8年(1825年)の大小月覚え言葉は1月、3月、5月、7月、10月、12月が大月で「大好きは雑煮草餅柏餅ぼんのぼた餅亥の子寒餅」という。
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