小出英貞
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小出 英貞(こいで ふささだ、貞享元年(1684年) - 延享元年11月15日(1744年12月18日))は、丹波園部藩の第4代藩主。第3代藩主・小出英利の長男。正室は松平頼純の娘。子に英持、娘(堀直為室)、娘(稲垣昭賢室)。官位は従五位下、信濃守。
宝永2年(1705年)4月22日、父の隠居により家督を継ぐ。このとき、弟の小出英治に1000石を分与した。享保10年(1725年)5月に奏者番、6月には寺社奉行を兼任する。寛保2年(1742年)には西の丸若年寄となる。藩政においても江戸藩邸に藩校を創設している。
延享元年(1744年)、病気を理由に全ての職を辞そうとしたが、許されないまま11月15日に61歳で死去した。後を子の小出英持が継いだ。
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