丹波国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
丹波国 (たんばのくに) は、かつて日本の地方行政区分だった国の一つで、山陰道に位置する。現在の京都府中部と兵庫県東辺の一部、および大阪府高槻市の一部・大阪府豊能郡豊能町の一部にあたる。丹後国とあわせて、あるいは単独で丹州と呼ばれることがあった。また、丹南、南丹とも呼ばれた。延喜式での格は上国、近国。
目次 |
[編集] 沿革
丹波ははじめ「たには」と呼び、古くは田庭・谷端・旦波とも書いた。5世紀ころ四道将軍の遠征により大和朝廷に服属したとされる。6世紀ころには「丹波」の名のつく女性が天皇の后となっていることから古代より丹波の名称はあったらしい。7世紀に丹波国が成立したときの領域は、現在の京都府の中部と北部、兵庫県の北部および中部の東辺に及んでいた。この時は現在の丹後、但馬も同国に含まれている。現在では丹波・丹後・但馬を三丹と総称することもある。丹後には丹波郡丹波郷が存在したことから、成立当初はここが丹波国の中心であったと考えられ、古墳時代には独自の王国が存在したとする説もある(丹後王国を参照)。
年号不明であるが北西部を但馬国、その後、和銅6年(713年)4月3日に北部5郡を丹後国として分離し、後世まで長く続く領域が定まった。
丹波国は大まかに言って亀岡盆地、由良(福知山)盆地、篠山盆地のそれぞれ母川の違う大きな盆地があり、互いの間を山地が隔てている。このため、丹波国は甲斐や尾張、土佐のように一国単位で結束した歴史を持ちにくい性質があり、丹波の歴史を複雑化した。地域性として亀岡の南丹(口丹波)地方は山城、福知山の中丹は丹後、篠山の兵庫丹波は摂津・播磨に密接に係わっている。
丹波国は古くより京都の出入口に当たる地理的条件から各時代の権力者から重要視され、播磨や大和などと並んで鎌倉時代の六波羅探題や江戸時代の京都所司代などの支配を受けた。ただそれだけにひとたび都で戦乱が起こった時は戦乱にすぐ巻き込まれた。そして篠村(亀岡市)では、鎌倉時代末期には足利尊氏が挙兵し、安土桃山時代にも亀岡城主の明智光秀が本能寺の変へと向う際にそれに倣ったとされるなど、時代変革の舞台ともなった。さほど有名ではないが、戦国時代に八上城の波多野氏は丹波諸豪族をまとめると、これを率いて山城など周辺諸国に進出したこともある。
江戸時代は一国を有する大名は出なかったものの一国7藩(福知山藩、綾部藩、 山家藩、丹波柏原藩、 篠山藩(八上藩)、園部藩、丹波亀山藩 )の多くが譜代大名(うち2藩は松平氏、但し、年によって違う)で固められており、徳川幕府の重視するところとなった。
明治維新の際、山国郷(現京都市右京区京北)で勤皇を標榜する山国隊が結成され、各地を転戦した。
廃藩置県後の明治4年(1871年)11月2日の第1次府県統合により、桑田郡、船井郡、何鹿郡は京都府に、天田郡、氷上郡、多紀郡は豊岡県に分けられた。さらに、明治9年(1876年)8月21日の第2次府県統合により豊岡県は廃止され、天田郡が京都府に、氷上郡、多紀郡の二郡が兵庫県に編入されることとなった。その後、昭和33年(1958年)4月1日の市町村合併により、京都府南桑田郡樫田村が大阪府高槻市に、京都府亀岡市西別院村の牧、寺田地区が大阪府豊能郡豊能町に編入されている。
[編集] 国府、一宮など
国府は桑田郡にあり、現在の亀岡市千代川遺跡または船井郡八木町屋賀または亀岡市三宅町(国衙との説もある)にあてる説があるが、未だ確定していない。
延喜式神名帳には大社5座4社・小社66座65社の計71座69社が記載されている。大社は全て名神大社で、以下のものである。
- 桑田郡 出雲神社(現 出雲大神宮、京都府亀岡市)
- 桑田郡 小川月神社(京都府亀岡市)
- 船井郡 麻気神社(現 摩気神社、京都府南丹市)
- 多紀郡 櫛石窓神社二座(兵庫県篠山市)
一宮は出雲神社(出雲大神宮)で、二宮以下は存在しない。総社は京都府船井郡八木町(現南丹市)の宗神社とみられる。
[編集] 守護
[編集] 鎌倉幕府
[編集] 室町幕府
- 1336年~1343年 - 仁木頼章
- 1343年~1351年 - 山名時氏
- 1351年~1352年 - 仁木頼章
- 1352年~1353年 - 高師詮
- 1354年~1359年 - 仁木頼章
- 1359年~1360年 - 仁木頼夏
- 1360年~1363年 - 仁木義尹
- 1363年 - 足利直冬
- 1364年~1371年 - 山名時氏
- 1371年~1391年 - 山名氏清
- 1392年~1397年 - 細川頼元
- 1397年~1426年 - 細川満元
- 1426年~1429年 - 細川持元
- 1429年~1442年 - 細川持之
- 1442年~1473年 - 細川勝元
- 1473年~1506年 - 細川政元
- 1506年~1507年 - 細川澄之
- 1507年~1508年 - 細川澄元
- 1508年~1520年 - 細川高国
- 1520年 - 細川澄元
- 1520年~1525年 - 細川高国
- 1525年 - 細川稙国
- 1525年~1531年 - 細川高国
- 1532年~1552年 - 細川晴元
- 1552年~1563年 - 細川氏綱
[編集] 郡
- 天田郡(あまだ:福知山市のうち旧何鹿郡佐賀村、旧与謝郡雲原村(1902年以降は天田郡)、旧加佐郡大江町を除く地域)
- 何鹿郡(いかるが:綾部市、福知山市のうち旧佐賀村)
- 船井郡(ふない:京丹波町、南丹市日吉町・園部町・八木町のうち旧北桑田郡神吉村(1955年に編入)を除く地域)
- 桑田郡(くわた:1879年以降は北桑田郡と南桑田郡に分割)
- 氷上郡(ひかみ:丹波市)
- 多紀郡(たき:篠山市)
[編集] 行政上の呼称
1.京都府内
- 中丹(ちゅうたん:丹波と丹後にまたがる地域)=福知山市・綾部市・舞鶴市(旧天田郡・旧何鹿郡・旧加佐郡)
- 南丹または口丹(くちたん:全域丹波)=船井郡・南丹市(旧北桑田郡)・亀岡市
2.兵庫県内
- 丹波(兵庫丹波)=丹波市・篠山市
[編集] 京都丹波・兵庫丹波
丹波の範囲は、現在の兵庫県側は篠山市及び丹波市で人口・面積ともに全体の2割弱、京都府側は亀岡市、船井郡、綾部市、福知山市であるので、兵庫県部分より京都府部分のほうが広大。 兵庫丹波・京都丹波と分類することは現在の行政区分により丹波が2府県にまたがるためである。
そもそも丹波は、中央集権体制を進める明治政府の大久保利通らにより、但馬・丹後を含め似通った地域性を無視して2府県に分けられた。いずれの地域も府県庁所在地から遠くはなれ、両府県および国の施策からは重きを置かれずにいたので、高度経済成長期にいっそうの過疎化が強まった。 なお、1871年(明治4年)11月2日~1876年(明治9年)8月21日の約5年間は、桑田、何鹿、船井3郡および山城が京都府、氷上、多紀、天田3郡および但馬、丹後が豊岡県と言う構成であった。豊岡県を二分し、天田郡と丹後が京都府、氷上、多紀2郡と但馬が兵庫県に編入されることになったのは旧出石藩士の桜井勉氏の案であるが、当初桜井氏は豊岡県全域と飾磨県(播磨)との合併を進言したようである。
丹波の名を広めたのは旧丹波国全域である。篠山市を含め両府県内で軋轢があったにもかかわらず、2004年(平成16年)11月、旧氷上郡が町村合併で周囲の反対を押し切る形で丹波市を名乗った。2004年当時、国名と同名の丹波町(京都府)が存在していたが、県をまたいでの市町名競合であるのと市町の違いがあるので、競合そのものに法律上の問題はなかった。丹波町が周辺の町と合併して京丹波町が発足した2005年(平成17年)10月11日をもって、丹波市・丹波町の並存は解消した。
[編集] 丹波ブランド
内陸の盆地に位置する丹波は山の幸に恵まれ、「丹波米」、「丹波の猪」、「丹波の黒豆」、「丹波のマツタケ」、などが全国的に有名になった。そのため「平成の大合併」では全国的に「山の幸の豊かな国というよいイメージ」をおびた「丹波」の名称をめぐって旧丹波国に位置する自治体で「丹波」の名前を奪い合い騒動となった。特に「丹波ブランド」を確立したと自負する篠山市は不快感をしめした。
[編集] 丹波と播磨
兵庫県南部の天気予報では、播磨の北側、つまり北播(ほくばん)と丹波(兵庫丹波)を一体化し北播丹波(ほくばんたんば)として警報や注意報を出しているので、天気的には同一と見られていることとなる。北播磨と兵庫丹波が仲良くしている珍しい例である。
播磨と兵庫丹波が仲良くない例として、兵庫丹波の人間が「ばんしゅうもん」という呼称で播磨の人間を呼ぶことがある。逆に播磨の人間は「たんばもん」と丹波の人間を呼ぶことがある。兵庫丹波が京都言葉の流れを組み、播磨が播州弁を使っていることが遠因かもしれない。行政上は、西脇労働基準監督署が丹波市も管轄し、福知山の佐川急便が丹波市、篠山市の配達をしているなど、現在では境界はなくなりつつあるが、播磨と丹波の境界はまだまだあるようである。
[編集] 丹波と丹後・但馬
丹波と丹後をあわせて両丹(りょうたん)、丹波と但馬をあわせて但丹または丹但(たんたん)、丹波と丹後、但馬をあわせて三たん(さんたん)と呼ばれる。「柏原の厄除大祭は三たん一のお祭り」などと表現される。
なお丹但は、但馬と丹後に用いられる場合もある。
[編集] 関連項目
- 丹波町(京都府)
- 京丹波町(京都府)
- 南丹市(京都府)
- 丹波市(兵庫県)
- 令制国一覧
- 播磨国
- 丹波弁
- たんば_(列車) : 京都駅~福知山駅間を山陰本線経由で運行する特別急行列車。
- 北近畿_(列車)#福知山線優等列車沿革 : 福知山線経由で新大阪駅・大阪駅~城崎温泉駅・豊岡駅・福知山駅・天橋立駅間を運行した急行列車「丹波」が掲載されている。
- 令制国一覧
-
畿内: 山城 | 大和 (芳野監) | 河内 | 和泉 | 摂津 東海道: 伊賀 | 伊勢 | 志摩 | 尾張 | 三河 | 遠江 | 駿河 | 伊豆 | 甲斐 | 相模 | 武蔵 | 安房 | 上総 | 下総 | 常陸 東山道: 近江 | 美濃 | 飛騨 | 信濃 (諏方) | 上野 | 下野 | 陸奥 (石城、石背 / 陸中、陸前、磐城、岩代) | 出羽 (羽前、羽後) 北陸道: 若狭 | 越前 | 加賀 | 能登 | 越中 | 越後 | 佐渡 山陰道: 丹波 | 丹後 | 但馬 | 因幡 | 伯耆 | 出雲 | 石見 | 隠岐 山陽道: 播磨 | 美作 | 備前 | 備中 | 備後 | 安芸 | 周防 | 長門 南海道: 紀伊 | 淡路 | 阿波 | 讃岐 | 伊予 | 土佐 西海道: 筑前 | 筑後 | 豊前 | 豊後 | 肥前 | 肥後 | 日向 | 大隅 (多褹) | 薩摩 | 壱岐 | 対馬 北海道: 渡島 | 後志 | 胆振 | 石狩 | 天塩 | 北見 | 日高 | 十勝 | 釧路 | 根室 | 千島
- 兵庫県の自治体等
-
神戸市: 東灘区 | 灘区 | 兵庫区 | 長田区 | 須磨区 | 垂水区 | 北区 | 中央区 | 西区 その他市部: 姫路市 | 尼崎市 | 明石市 | 西宮市 | 洲本市 | 芦屋市 | 伊丹市 | 相生市 | 豊岡市 | 加古川市 | 赤穂市 | 西脇市 | 宝塚市 | 三木市 | 高砂市 | 川西市 | 小野市 | 三田市 | 加西市 | 篠山市 | 養父市 | 丹波市 | 南あわじ市 | 朝来市 | 淡路市 | 宍粟市 | たつの市 | 加東市 川辺郡: 猪名川町 多可郡: 多可町 加古郡: 稲美町 | 播磨町 神崎郡: 市川町 | 福崎町 | 神河町 揖保郡: 太子町 赤穂郡: 上郡町 佐用郡: 佐用町 美方郡: 香美町 | 新温泉町