小西政継
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小西政継(こにし まさつぐ, 1938年(昭和13年) - 1996年(平成8年)10月)は、日本の登山家である。東京都生まれ。
[編集] 生涯
1954年、千代田区立麹町中学校を卒業し、活版印刷会社に入社。
1957年9月、山岳同志会に入会する。
1967年2月7日、遠藤二郎・星野隆男とともに、マッターホルン北壁の冬季登攀に成功する(第3登)。
1969年及び1970年には、エベレストの南西壁を試登する。
1971年、グランドジョラス北壁の冬季登攀に成功する(第3登)。この時、凍傷で手足の指を失う。
1976年、山岳同志会隊で、ジャヌー北壁の初登頂に成功する。
1980年、カンチェンジュンガ主峰北壁の無酸素登攀を指揮、登頂に導く。
1982年、日本山岳協会の合同登山隊の登攀隊長として、チョゴリ北壁の初登頂を無酸素での達成に導く。
1984年、「クリエイター9000」を設立し、本格的な登山から退く。
1994年、小西自らが「エグゼクティブ登山」と呼んだ、現在主流のガイド付きのスタイルで、再びヒマラヤ登山を開始する。「シルバータートル隊」同人に参加し、ダウラギリI峰に登頂。
1996年10月1日、マナスルに登頂後、消息を絶つ。
[編集] 著書
- 『マッターホルン北壁:日本人冬期初登攀』(山と渓谷社、1968年)
- 『凍てる岩肌に魅せられて』(毎日新聞社、1971年)
- 『グランドジョラス北壁:ウオーカー稜冬期日本人初登攀』(山と渓谷社、1971年)
- 『ジャヌー北壁』(白水社、1976年)
- 『ロッククライミングの本』(白水社、1978年)
- 『北壁の七人:カンチェンジュンガ無酸素登頂記』(山と渓谷社、1981年)
- 『山は晴天』(中央公論社、1982年)
- 『砂漠と氷雪の彼方に:チョゴリ登頂の全記録』(山と渓谷社、1983年)