山崎晴可
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山崎 晴可(やまざき はるか、山崎はるか、1968年11月1日-)は作家、コンピュータ技術者。高知県高知市出身。男性。高知県立高知西高等学校卒業、大阪芸術大学文芸学科中退
- ダイアモンドアプリコット電話研究所 所長、
- ソフトバンクBB株式会社 技術顧問
目次 |
[編集] 著書・連載
- 「ざっくりわかるインターネットプログラミング」(月刊「Windows Developer Magazine」連載)(翔泳社)
- 「インターネットツール構築論」(白夜書房)
[編集] テレビ
[編集] 略歴
大阪芸術大学・文芸学科在学中に『comic I』(主婦と生活社)で原作者としてデビュー、ペンネームは“速水涼太郎”(はやみりょうたろう) 文芸同人誌『立夏』に「東家の人」(1987~1988)などを連載。同時期『青春群像-加藤登紀子』など、ローカルTV番組の構成・脚本を担当。ただし放送業界に興味は薄く、卒業したら国語の先生になるつもりだったと述べている[1]。
その後、実家の土木測量会社を継ぐよう両親から懇願されたこともあり、大学を中退して上京した。 (上京の理由については、当時の恋人が東京に引っ越したためだ、とも述べている[1]。)
このとき 朝日航洋に就職。測量部を経て、汎用システムによるカーナビゲーション地図の製作・開発に携わった。それがきっかけとなり、退職後、家業の土木測量を手伝いながら、CAD・会計ソフトの製作を始めた。
1992年に独立して「ダイアモンドアプリコット」を設立。1993年同社の製品のひとつ・留守電ハッキングソフト「ぱるす」が、ラジオライフで紹介され、同誌に、電話回線を使ったハッキング方法の記事を執筆、その内容から「電話ハッカー」と呼ばれるようになる[1][2]。
その後も「PPD」(1994)、「TheEarth」(1995)、「Venus」(1995)、「ブラックホール」(1996)など電話関連のソフトウェア、セキュリティツールを開発し、日本ではじめて“商業的に成功したハッカー”とされた[3]。
1997年・石川英治に誘われ、ハッカー集団「UGTOP」を結成。 「プロキシランチャー」(1997),「オルゴトロン98」(1998)を同サイトで発表・配布
ブラックホールのWindows版「DAブラックホール」(1998)を一般リリース後、ダイアモンドアプリコット電話研究所を設立して、連載の執筆と ストーカー問題のボランティア活動を行っている。
[編集] ストーカー問題
1996年、いたずら電話相談室を開設して、ストーカー問題の対策ボランティアに係わるようになった。 1999年、フジテレビが、この活動を同局の番組・FNNスーパーニュースで紹介。反響を呼び、フジテレビ/共同テレビ制作により「ストーカーバスター」として60分のドキュメント番組をシリーズで編成。 続編「ストーカーバスター2」など全5作のドキュメントシリーズになった。 2006年現在、ストーカー問題相談室にて活動が続いている。
[編集] ペンネーム
コンピューター誌では「山崎はるか」、文学(小説や脚本)では「速水涼太郎」
- 1986年の『I/O』2月号(工学社)BigIOは「山崎はるか」
- 1990年の『SIlky』(白泉社)は「速水涼太郎」
[編集] 参考文献
- 創、創出版、1999
- 電脳ギャング、ワニマガジン、1999
- プレジデント、プレジデント社、2000
- ホットドッグプレス、講談社、2004
- Windows Developer Magazine、翔泳社、2005~2006
[編集] 関連項目
- 五藤みちゆき
- 石川英治
カテゴリ: 日本のノンフィクション作家 | 高知県出身の人物 | 1968年生