岡沢精
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岡沢 精(おかざわ くわし、弘化元年7月7日(1844年8月20日) - 明治41年(1908年)12月12日)は、日本の陸軍軍人。初代侍従武官長の他、大本営軍事内局長、議定官等を歴任し官位は陸軍大将正二位勲一等功二級子爵に昇る。
長州藩士岡沢甚内の子として江戸長州藩邸に生まれる。大村益次郎の塾に学んだ後長州に行き、尊皇攘夷運動に携わる。南国隊を組織し戊辰戦争に従軍。明治3年10月大阪第2教導隊に入営する。明治4年2月に四等軍曹、4月御親兵大隊長の後6月3日陸軍準中尉となる。同年中に中尉・大尉・少佐と進み御親兵5番大隊長の職を経て明治6年2月近衛歩兵第1連隊大隊長、明治10年の西南戦争には別働第1旅団参謀長として出征する。戦後の明治11年12月東京鎮台参謀長兼衛戍司令官、明治13年陸軍大佐に昇進する。その後西部監軍部参謀・近衛参謀長・参謀本部管西局長・歩兵第8旅団長・陸軍次官兼軍務局長を経験し階級は陸軍少将に進む。一時休職するも明治25年11月に陸軍将校学校監、翌年には監軍部参謀長となり日清戦争では大本営軍事内局長兼侍従武官として明治天皇の側に仕え信任を得る。明治28年の陸軍中将男爵の後明治37年新設の侍従武官府の長である侍従武官長に任ぜられる。岡沢の天皇からの信頼は厚く、明治37年陸軍大将に進み議定官を加官され、明治39年功二級金鵄勲章受章、明治40年子爵に陞爵、明治41年勲一等旭日桐花大綬章受章と栄典拝受が続くが明治42年12月に病没する。墓所は東京都港区南青山・青山霊園。
精の後を長男精一が継ぐ。次男精三は陸軍士官学校を21期で卒業し陸軍大佐に進む。精の娘は駐中華民国大使の有吉明、陸軍中将渡辺良三に嫁ぐ。
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