金鵄勲章
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金鵄勲章(きんしくんしょう)とは、戦前の日本において大日本帝国陸軍・海軍の軍人、軍属に対してのみ授与された唯一の勲章。名前の由来は神武天皇の東征における伝説に基づく。
目次 |
[編集] 概要
金鵄勲章は7等級に分けられ、「功一級」以下「功七級」までの功級に叙せられた上で勲章を受ける。位階や旭日章などのその他の勲章は仕官して公務員(当時は官吏)となれば勤続年数などの一定の条件で誰でも受章する事が出来、民間人でも対象となったが、金鵄勲章は軍人のみで且つ戦功が無くては授与されず、陸軍大将と雖も武功が無ければ受章されない。また、金鵄勲章受章者には功一級で900円、功七級で65円の年金が与えられた。当時二等兵の月給は8円80銭であり、かなりの高額であった。この年金は終身年金であったが、戦争の拡大に次ぐ拡大で金鵄勲章受章者が急増し国庫の大きな負担になった。その為1940年に一時金制に変更になり、国債の形で支給された。しかし、敗戦によりその国債は1円の価値もないものになった。また、生存者への授与は昭和15年を最後に戦争激化のため一時停止され、以後は戦没者に与えられるのみとなった。このため、前線部隊では勲功抜群なものに対しては「金鵄勲章の確約」として軍刀などを与えたり、陸軍では武功徽章を制定するなどして対処していた。
戦前の日本においては階級がものを言う社会であったため、勲章の等級を並べて表示する事が多い。金鵄勲章も例に漏れず表示され、表示順は、1、職 2、階級 3、位階 4、勲等 5、功級 6、爵位 7、学位そして氏名となる。
- (例)内閣総理大臣海軍大将従一位大勲位功一級伯爵山本権兵衛
[編集] 功級
金鵄勲章に付随して、叙せられた軍人の功績を示す等級。位階勲等といった栄典と並び天皇より与えられた栄誉の一つ。各級は正式には功一級金鵄勲章のように等級+金鵄勲章の形で呼ばれる。功二級金鵄勲章以下は副章が存在しない。
- 功一級:天皇直隷部隊の将官たる司令官に対して特別詮議の上授与
- 大綬を左肩から右脇に垂れ、副章を左肋に佩用する。
- 功二級:功労ある将官、佐官最高位の功級
- 正章(功一級金鵄勲章の副章と同じ)を右肋に佩用する。
- 功三級:将官の初叙。功労ある佐官、尉官の最高位の功級
- 中綬を首に佩用する。
- 功四級:佐官の初叙せられる功級。功労ある尉官、准士官、下士官の最高位の功級
- 小綬を左胸に佩用する。
- 功五級:尉官の初叙せられる功級。准士官、下士官の中で功労を重ねた者の功級。また兵の最高位の功級
- 小綬を左胸に佩用する。
- 功六級:准士官、下士官の初叙せられる功級。また功労ある兵の功級
- 小綬を左胸に佩用する。
- 功七級:兵の初叙せられる功級
- 小綬を左胸に佩用する。
[編集] 金鵄勲章受賞者数(概数)
- 日清戦争:約2000人
- 日露戦争:約10万9600人
- 第1次大戦:約3000人
- 満州事変:約9000人
- 日中戦争:約19万人
- 大東亜戦争:約62万人
[編集] 功一級金鵄勲章受章者
[編集] 陸軍軍人
[編集] 日露戦争の功
- 奥保鞏:元帥陸軍大将伯爵;1906年4月1日
- 大山巌:元帥陸軍大将公爵;1906年4月1日
- 川村景明:元帥陸軍大将子爵;1906年4月1日
- 黒木為楨:陸軍大将伯爵;1906年4月1日
- 児玉源太郎:陸軍大将伯爵;1906年4月1日
- 寺内正毅:元帥陸軍大将伯爵:1906年4月1日
- 西寛二郎:陸軍大将子爵;1906年4月1日
- 野津道貫:元帥陸軍大将侯爵;1906年4月1日
- 乃木希典:陸軍大将伯爵;1906年4月1日
- 長谷川好道:元帥陸軍大将伯爵;1906年4月1日
- 山県有朋:元帥陸軍大将公爵;1906年4月1日
[編集] 第一次世界大戦の功
[編集] 満州事変の功
[編集] 支那事変の功
[編集] 大東亜戦争の功
- 朝香宮鳩彦王:陸軍大将;1942年4月4日
- 閑院宮載仁親王:元帥陸軍大将;1942年4月4日
- 西尾寿造:陸軍大将;1942年4月4日
- 東久邇宮稔彦王:陸軍大将;1942年4月4日
- 松井石根:陸軍大将;1942年4月4日
- 杉山元:元帥陸軍大将;1942年4月13日
- 塚田攻:陸軍大将;1943年1月17日
[編集] 海軍軍人
[編集] 日露戦争の功
- 伊集院五郎:元帥海軍大将男爵;1906年4月1日
- 伊東祐亨:元帥海軍大将伯爵;1906年4月1日
- 片岡七郎:海軍大将男爵;1906年4月1日
- 上村彦之丞:海軍大将男爵;1906年4月1日
- 東郷平八郎:元帥海軍大将侯爵;1906年4月1日
- 山本権兵衛:海軍大将伯爵;1906年4月1日
[編集] 大東亜戦争の功
- 及川古志郎:海軍大将;1942年4月4日
- 長谷川清:海軍大将;1942年4月4日
- 伏見宮博恭王:元帥海軍大将;1942年4月4日
- 米内光政:海軍大将;1942年4月4日
- 山口多聞:海軍中将;1942年6月5日
- 山本五十六:元帥海軍大将;1943年4月18日
- 古賀峯一:元帥海軍大将;1944年5月5日
- 南雲忠一:海軍大将;1944年7月8日
- 有馬正文:海軍中将;1944年10月15日
[編集] 後年の金鵄勲章復権運動
敗戦により全ての勲章が廃止された。1963年に生存者叙勲制度が再開され、菊花章・旭日章・瑞宝章・宝冠章が復活したが、金鵄勲章は廃止されたままで公の場での佩用も禁止された。その為金鵄勲章叙勲者達は名誉と年金の復活を求めて「金鵄連盟」をつくり、運動を始めた。1985年には「旧勲章名誉回復に関する懇談会」という国会議員の集まりがつくられ、当時の中曽根首相に同様の要請をしている。しかし、叙勲者の高齢化等により近年活動は下火になっている。
[編集] 関連項目
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